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Q

横浜大空襲について教えてください。

最終更新日 2021年10月15日

横浜市について
A

昭和20(1945)年5月29日火曜日、天候は朝から快晴で無風状態でした。
午前9時過ぎ、横浜上空に姿をあらわしたB29爆撃機は、防戦する日本軍の高射砲や機銃の弾幕の上を飛行し、高高度からの空爆を行いました。
降りそそぐ大量の焼夷弾によって、当時97万の人口をかかえる大都市横浜の中心部は、山手地区と山下公園周辺を除いて、ほとんどが燃え尽きました。

解説

昭和20(1945)年5月29日未明、米第21爆撃機集団所属のB29編隊517機がマリアナ基地を発進し、午前9時20分ころ横浜上空に達し、10時半ころまで、約1時間で、総数43万8,576個(2,569.6トン)の大量の焼夷弾を投下しました。

密集した木造家屋を焼き払うのに適したM69と呼ばれる集束焼夷弾攻撃により、中区・南区・西区・神奈川区を中心に、横浜の市街地は猛火につつまれました。

この大空襲による被害は、直後の公式発表によれば、死者3,650人、重軽傷者10,198人、行方不明309人、罹災者は311,218人とされます。

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メールアドレス:so-sisiriyou@city.yokohama.jp

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