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武相国境・緑の森コース

最終更新日 2020年4月10日

四季を通じて美しい景観のプロムナードである武相国境の道(野境道)と、瀬谷最大の樹林や和泉川の源流がある瀬谷市民の森があります。静かな自然の中で森林浴を楽しみ、瀬谷の原で中世の古戦場跡など深い歴史に触れることができる、子どもでも無理なく歩ける短めのコースです。

武相国境・緑の森コース マップ

武相国境・緑の森コース マップ


武相国境・緑の森コースの見どころ

見どころ一覧
史跡等の名称ご案内
楽老峰(楽老南公園)

 古くは美屋古山と呼ばれ、狼煙台か物見台として築かれていました。
 慶長18年(1613)、徳川家康が駿河に向う途中、この峰で休息し、住民が差し出した湯茶を飲まれ、「老人の楽しみは良い景色を見ながら茶を飲むこと、これからは楽老峰と呼ばれよ」と言われたと伝えられています。

楽老峰の写真

武相国境(野境道)

 相模国と武蔵国の国境を通ることから野境道と呼ばれています。五貫目から中丸山、瀬谷市民の森、阿久和を通り金沢区へ通じる尾根道で、古道であったといわれています。
 四季を通じて美しい景観のプロムナードで、桜並木が市民に親しまれています。

武相国境の写真

瀬谷市民の森

 昭和51年(1976)4月開園。旭区との境に広がる森林地帯の一部で、区内最大の樹林公園です。
 森林浴や昆虫、植物、野鳥観察などでき、子どもも大人も楽しめます。

瀬谷市民の森の写真

瀬谷の原

 現在の旧上瀬谷通信施設や県営細谷戸ハイツなどのある地域一帯を指します。
 新田義貞が鎌倉幕府討伐のために陣揃えをした場所といわれています。また、室町時代に前関東管領上杉禅秀が鎌倉公方足利持氏に反乱を起こした「上杉禅秀の乱」でも、武州瀬谷原にて激しいで合戦となりました。

瀬谷の原の写真

諏訪社

 神社起源は不明。源頼朝が治承4年(1180)8月石橋山の合戦で敗れ、房総に逃れた後再起を図り、兵力を集め10月6日鎌倉入りする前夜この社に一泊したといわれています。
 境内には横浜市名木古木指定の樹齢約290年のケヤキ2本があります。

諏訪社

長天寺

 創建は室町時代応永元年(1394)。ダルマ大師のご神体が祀られており、ダルマ大師の石仏に加え、江戸時代に建てられた養蚕神を祀っていたお堂があります。
 明治22年(1889)、瀬谷・二ツ橋・宮沢の3村合併によりできた瀬谷村の初の村役場がこの長天寺の客殿に置かれました。

長天寺の写真


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このページへのお問合せ

瀬谷区総務部地域振興課区民協働推進係

電話:045-367-5694

電話:045-367-5694

ファクス:045-367-4423

メールアドレス:se-kyoudou@city.yokohama.jp

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