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神社・仏閣など
最終更新日 2025年10月16日
各スポットの場所は「旧東海道保土ケ谷宿 歴史とひとにふれあう よりみちこみちマップ」に掲載されています。
杉山社
創建年代は不詳だが、市内に数多くある同名社と同じく古社と思われる。祭神は五十猛命(いそたけるのみこと)。境内の石灯籠には「伊勢大神宮」と銘が刻まれた「怪力石灯籠」の伝説がある。
安楽寺
開山は天文年間(1532~55)。本尊は阿弥陀如来。当時、境内にあった八幡社の泉から出現したと伝えられる掬水観音像(きくすいかんのんぞう)が本堂内に安置されている。真言宗。
圓福寺
開山は室町時代初期(1430年)。本尊は地蔵菩薩。この本尊には、寺の背後の竹林から出現したという筍地蔵の伝説がある。国道沿いのツツジが美しい。真言宗。
神明社
創建は平安時代中期(970年)。当地は伊勢神宮の御領地として寄進され榛谷御厨(はんがやのみくりや)と呼ばれ、その鎮守として神明社が建立された。祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)。
香象院
開山の年代は不詳。保土ケ谷宿で最大の寺子屋があり、明治6年(1873)に保土ケ谷小学校の分校となった。保土ケ谷郷土史家・磯貝正氏の功績を称えた碑がある。真言宗。
見光寺
開山は江戸時代初期(1629年)。保土ケ谷の住人で熱心な浄土宗の信者、茂平夫妻が建てた。保土ケ谷出身のコラムニスト青木雨彦氏の句碑がある。
福聚寺
開山は南北朝時代(1335年)。本尊は釈迦如来。十返舎一九の弟子、五返舎半九の墓がある。臨済宗建長寺派。
北向地蔵
金沢道と弘明寺道(鎌倉下の道の名残か?)の分かれの辻に道標を兼ねて、お地蔵様が北向きに建てられた。
天徳院
開山は安土桃山時代(1573年)。本尊は運慶作といわれる地蔵菩薩坐像。土地の豪族、小野筑後守(ちくごのかみ)が帰依して建立した。曹洞宗。
大蓮寺
開山は江戸時代初期(1625年)。日蓮上人が泊まった家を法華堂に改修したのが寺の始まりとのこと。家康の側室おまんの方お手植えのざくろの木がある。日蓮宗。
遍照寺
開山の年代は不詳(876年開山とも伝えられる)。本尊の薬師如来像は横浜市指定文化財。念仏百万遍の供養塔や、岡野新田を開拓した岡野家の墓所がある。真言宗。
御所台の井戸(政子の井戸)
北条政子が鎌倉への途中ここで休んで井戸の水を使ったといわれる。明治天皇が本陣でご休憩された際にもこの井戸の水が使われたという。
八幡社
創建は鎌倉時代末期(1318年)。祭神は應神天皇。本殿(外からは見えない)は江戸時代初期の建立と伝えられる。菊水観音出現の伝説がある。
外川神社
お仙人様の名で親しまれ子供の虫封じに効きき目があるといわれた。ご神木のケヤキが見事である。祭神は日本武尊。
大仙寺
開山は平安時代中期(970年)といわれ区内で最も古い寺の一つ。本陣をつとめた軽部家の菩提寺であり、旧東海道からは山門をくぐり参道が続いていた。真言宗。
樹源寺
鎌倉時代に建てられた医王寺が焼失した後、江戸時代初期(1628年)に苅部家により身延山久遠寺の末寺として開山した。庭園が美しい。日蓮宗。
権太坂
昔は今より急坂で江戸からの旅人がはじめて出会う難所であった。一番坂と二番坂があり松並木が続き景色も良く富士が眺ながめられた。
境木立場跡
保土ケ谷宿からも戸塚宿からも難所の坂を上り詰つめたところに、旅人や馬が休息するための立場が設けられ、数件の茶屋があった。その内の1軒が現存し、明治天皇も休息された。
投げ込こみ塚の碑
昔、街道の近くに旅の途中で行き倒れた人や牛馬を葬むった場所があった。その後、平戸の東福寺に手厚く改葬され、供養のためにこの碑が建てられた。
武相国境モニュメント
この地が武蔵国(保土ケ谷宿)と相模国(戸塚宿)の境であり、昔は木の杭が立てられていたので境木という。このモニュメントは平成17年に設置された。
萩原代官屋敷跡
萩原家は平戸の領主で代々旗本杉浦越前守の代官をつとめ、幕末の頃にはこの場所に道場を開いた。今は武家屋敷門と倉が残る。
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