2025年8月号 戦後80年 戦争の記憶
-戦中・戦後を生きた横浜の人びと-

海、港、緑、歴史、地域、人々、さまざまな魅力を持つ横浜。この街の彩りを「よこはま彩発見」としてお届けします。今回は、横浜市民の戦争被害をテーマとした特別展を開催している横浜都市発展記念館(中区)からです。
広報よこはま2025年8月号に紙面掲載した「よこはま彩発見」の内容は、こちらのリンク先をご覧ください。

戦後80年 戦争の記憶
-戦中・戦後を生きた横浜の人びと-

横浜都市発展記念館
主任調査研究員 西村 健

「GI ベビー」を保護した聖⺟愛児園(中区山⼿町)の⼦どもたち
昭和20 年代 横浜都市発展記念館蔵 ファチマの聖⺟少年の町卒園⽣寄贈


【画像1】山室家に残る戦時期の回覧板
山室宗作氏所蔵

■戦時期の市民生活

昭和期の戦争は、国家総力戦という形式で行われたため、国内のあらゆる物資や労働力が戦争のために総動員されることになりました。このため、市民生活にも大きな影響が出ました。
戦時期における横浜の市民生活の様子を知ることのできる資料を多く所蔵しているのが、神奈川区六角橋の旧家、山室家です。山室家の先々代当主の山室周作氏は、連合町内会長などを務める町の名士でした。山室氏が残した資料からは、配給や金属の供出、空襲への対処など、様々な活動を地域が行っていたことがわかります。【画像1】は山室家に残る戦時期の回覧板です。資源に乏しい日本では、家庭内の金属も重要な戦時物資であり、積極的な供出が求められました。この回覧板には、金属供出をテーマとした市内の国民学校児童の作文や標語が掲載されています。


【画像2】⼾部国⺠学校の分列⾏進 1942(昭和17)年
市⽴⼾部⼩学校所蔵

■戦時期の子どもたち

戦争は、子どもたちの生活にも大きな影響を及ぼしました。1941(昭和16)年に国民学校令が公布されたことにより、従来の小学校は改組されて国民学校となり、国の為に尽くす「少国民」を育てる教育が重視されます。市内の小学校には、戦時期の資料を保存している学校がいくつかありますが、特に西区の市立戸部小学校には、多くの資料が残されています。同校に保存されている【画像2】の写真には、軍人の指導によって行進をする児童の姿が写されていますが、このような軍事教練の授業が重点的に行われました。


【画像3】南吉⽥国⺠学校集団疎開児童集合写真
1944(昭和19)年頃
宮崎久郎氏所蔵

また、戦局が悪化した1944(昭和19)年には、空襲被害を避けるために、都市に住む国民学校3年以上の児童は疎開をすることが求められました。このうち、地方に縁故のない児童は集団疎開をすることになります。南区の南吉田国民学校5年生であった宮崎久郎氏と有年瑛(ありとしあきら)氏は、1944(昭和19)年8月に現在の箱根町の旅館に集団疎開し、翌年10月まで親元を離れて過ごしました。【画像3】は宮崎氏が所蔵している集団疎開時の様子を撮影した写真です。


【画像4】有年瑛(ありとしあきら)氏の日記 1944(昭和19)年
有年瑛(ありとしあきら)氏所蔵

また、有年(ありとし)氏は疎開中、毎日日記を記していました。日記には、学業の傍らで開墾などの作業に励む様子が記されています【画像4】。


【画像5】シディングハム・イーンド・デュア氏
1950(昭和25)年頃
出羽仁氏所蔵

■抑留された外国籍の横浜市民

戦前から国際都市であった横浜には、多くの外国人が在住していました。しかし、1941(昭和16)年にいわゆる対米英戦争がはじまると、英国籍や米国籍をもつ人々は「敵国人」として開戦直後に抑留され、長期にわたる抑留生活を余儀なくされました。この時期の抑留者の実相を現在に伝える資料が、戸塚区に在住していた英国籍の青年、シディングハム・イーンド・デュア氏【画像5】が記した抑留日記です。


【画像6】抑留⽣活の心情が記されたシディングハム氏の日記
1944(昭和19)年10月
出羽仁氏所蔵

当時、東京慈恵会医科大学の予科で医師になるために勉学に努めていたシディングハム氏は、工業用ダイヤモンド輸入商の父、ウィリアム氏とともに抑留され、中区新山下町の横浜ヨットクラブと根岸の競馬場に設置された抑留所で過ごしたのち、現在の南足柄市に設置された内山抑留所(神奈川第1抑留所)で敗戦までの日々を送ることになります。シディングハム氏は大戦末期の1944(昭和19)年から日記を記しましたが、文面からは厳しい抑留生活を送るシディングハム氏の心情がうかがえます【画像6】。


【画像7】聖⺟愛児園の⼦どもたち 昭和20年代
横浜都市発展記念館所蔵
ファチマの聖母少年の町卒園生寄贈

■横浜の「GIベビー」を保護した聖母愛児園

戦後、多数の占領軍兵士が駐留した横浜では、兵士と日本人女性の間に生まれた、「GIベビー」と呼ばれる子どもたちが大勢いました。この中には、望まれない妊娠によって誕生した子も多く、街に棄てられて死亡する子が続出したほか、兵士が母子を残して帰国したことで養育が困難になり、生活が困窮する子どもたちも少なくありませんでした。これらの子どもたちを救ったのが、中区山手町の“聖母愛児園”の人々です。【画像7】

1946(昭和21)年に設立された同園は、カトリックの世界組織“マリアの宣教者フランシスコ修道会”を母体とする“社団法人大和奉仕会(現在の社会福祉法人聖母会)”が運営した施設で、国内で最も多くの「GIベビー」と呼ばれた孤児達を保護しました。
同園には当時の園児たちの情報が記載された資料が多数保存されており、何ら罪のない子どもたちが置かれた厳しい状況について詳しく知ることが出来ます。


【画像8】横浜で「GI ベビー」として育った⻘⽊ロバァト氏と⻘⽊マリ氏 ⻘⽊ロバァト氏所蔵

また、今回の展示では、同園の卒園生である青木マリ氏と兄の青木ロバァト氏に関する資料【画像8】も展示します。横浜で「GIベビー」として育った青木ロバァト氏は、聖母愛児園の分園である“ファチマの聖母少年の町”の卒園生であり、同園の歴史を語り継いでいます。
展示会期中の9月15日(月・祝)には、青木氏を招いた講演会も開催しますので、是非ご参加ください。

特別展関連記念講演会「当事者が語る『GIベビー』の記憶」は、横浜情報文化センター(情文ホール)にて9月15日(月・祝)開催。(※要事前申込、有料)

※詳細は、横浜都市発展記念館の公式サイトを確認してください。

特別展「戦後80年 戦争の記憶-戦中・戦後を生きた横浜の人びと-」は、9月28日(日)まで開催中。

≫横浜都市発展記念館 公式サイト
【交通】みなとみらい線「日本大通り」駅下車、徒歩すぐ。
【休館日】毎週月曜日(祝休日の場合は翌平日)、年末年始

問合せ

横浜都市発展記念館
TEL 045-663-2424
FAX 045-663-2453

読者プレゼント

【2025年9月1日(月)締切】※応募受付は終了し、当選者へ9月5日(金)に賞品を発送しました。ご応募ありがとうございました。

戦後80年 戦争の記憶

いつも「広報よこはま よこはま彩発見」をご覧いただき、ありがとうございます。感想をお寄せいただいた方の中から抽選で、横浜都市発展記念館の入館招待券を10組20名様にプレゼントします。

ご希望の方は、次の6項目※を明記し、郵便はがき(〒231-0005 横浜市中区本町6-50-10 横浜市役所政策経営局広報・プロモーション戦略課 あて)または電子メール(ss-saihakken@city.yokohama.lg.jp)でご応募ください。締切は2025年9月1日(月)必着です。

※①郵便番号、②住所、③氏名、④感想、⑤読んでみたい記事、⑥「8月号プレゼント希望」

なお、当選者の発表は賞品の発送をもってかえさせていただきます。また、いただいた個人情報は、賞品の発送以外の目的には使用しません。

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横浜市役所政策経営局広報・プロモーション戦略課
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