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第九話:土から生まれた菩薩(ぼさつ)さま

最終更新日 2019年3月7日

「土から生まれた菩薩さま」の民話のイラスト

 下瀬谷の全通院勢至堂(ぜんつういんせいしどう)におまつりしてある勢至菩薩(せいしぼさつ)にはおもしろいいい伝えがあります。
 今から約二百四十年むかしの延享(えんきょう)元年、今の大和市深見(ふかみ)の容村(いりむら)に、たいそう信心深い中丸左源太(なかまるさげんた)という人が住んでいました。
 ある夜左源太はふしぎなゆめを見ました。
「左源太よ、私は今土の中だが世に出て仏のちえを授けたい、どうか地上に出しておくれ。」
こう呼びかけると仏さまの姿は消えました。ふしぎなゆめもあるものだと思い左源太は夜が明けるのを待って、さっそく鍬を肩に家を出て、ゆめのお告げのあった元鹿島神社の跡(あと)をほって見ると土の中から仏像が出てきました。
「お告げのとおりだ、もったいないことだ。」左源太は仏像をていねいに洗い清めると村の祠(ほこら)におまつりしました。これが勢至菩薩です。
 しばらくしてまた左源太はゆめの中で仏さまの声を聞きました。
「私はもっと多くの人にちえを授けみんなが心安らかにくらせるように力を与えたい、私といっしょに諸国を巡っておくれ。」
ということでした。
 左源太は祠の勢至菩薩を厨子(ずし)におさめ、それを背負(せお)って各地を巡り、人々に仏の教えを広めました。
 その後、勢至菩薩は全通院阿弥陀堂に安置され、ちえ授(さず)けのお勢至さまと多くの人々の信仰を集めてきました。一月と八月の二十三日が縁日(えんにち)ですが、八月の縁日は毎年たいそうなにぎわいで、お詣(まい)りの人々の混雑で露店(ろてん)のすいかが参道にころがり落ちることもたびたびあったそうです。
 昭和のはじめ、まだすいかがめずらしかったころには、売りものにならなくなったすいかが参詣の人々に配られると、それがまたお勢至さまのご利益だと喜ばれたということです。ここには昭和二十年ごろまで下瀬谷分教場(ぶんきょうじょう)がありましたが、子どもたちにひとりの怪我人(けがにん)もなかったということで、これもお勢至さまのおかげといわれています。


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