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瀬谷区のあゆみ~絹の道に関わる歴史を掲載しました!

最終更新日 2019年3月14日

昭和44年に誕生した瀬谷区ですが、瀬谷区となるずっと前から歴史が重ねられています。
ここでちょっと瀬谷区の歴史を振り返ってみませんか。

昭和32年、瀬谷町本郷ローム層から出土した石器の発見によって、瀬谷の地にも今から約2万年以前の無土器時代に狩猟を主とした民がいた事実が認められました。
奈良・平安時代の瀬谷は、南北2里半(約10km、奈良時代初期)の長い地域で上瀬谷、中瀬谷、下瀬谷の3つの字と相辺沢とにわかれていました。
豊かな土壌に恵まれて、米づくり、布づくりが営まれ、安和元年(968年)には阿久和に熊野神社が創建されました。
江戸時代となり、瀬谷は徳川氏の代官彦坂小刑部(ひこさかこぎょうぶ)の支配下となり、初めて検地が行われました。その後、瀬谷野新田が開墾され、農村地帯としての瀬谷が栄えていきました。

昭和54年「瀬谷区制施行10周年記念」から抜粋

瀬谷の歴史年表

年表

明治34年
(1889)

横浜に市制が施行。
町村合併により鎌倉郡瀬谷村(瀬谷・二ツ橋・宮沢)と中川村(阿久和・岡津ほか)が誕生

昭和18年ころ 相模鉄道の画像
昭和18年ころ 相模鉄道

昭和26・7年ころ 三ツ境駅の画像
昭和26・7年ころ 三ツ境駅

昭和27年ころ 三ツ境駅前商店街周辺の画像
昭和27年ころ 三ツ境駅前商店街周辺

昭和34年 三ツ境駅付近の画像
昭和34年 三ツ境駅付近

昭和37年 阿久和町の画像
昭和37年 阿久和町

昭和44年ころ 瀬谷区役所の画像
昭和44年ころ 瀬谷区役所

昭和50年 長屋門公園の画像
昭和50年 長屋門公園


*写真提供

瀬谷区の歴史を知る会、相澤詔二さん

区役所
新しく完成した瀬谷区総合庁舎と二ツ橋公園
平成25年3月

明治40年
(1907)

瀬谷銀行が中屋敷に開店

大正15年
(1926)5月

神中鉄道が厚木-二俣川間で、営業を開始
三ツ境、二ツ橋、瀬谷にそれぞれ停車場を設けた
*昭和35年(1960)二ツ橋駅廃止
戸塚区時代

昭和14年
(1939)4月

現瀬谷区域が横浜市に編入、戸塚区瀬谷出張所(瀬谷町2528)、中川出張所(岡津町237)を設置

昭和17年
(1942)

横浜市民として初めての市会議員選挙が行われた

昭和19年
(1944)4月

相模鉄道(神中)が大和・瀬谷間に電気運転を開始した
(同年5月瀬谷・三ツ境間開始)

昭和39年
(1964)

瀬谷出張所が戸塚区役所瀬谷支所に昇格
瀬谷区時代

昭和44年
(1969)10月1日

瀬谷支所管内に瀬谷区を設置

昭和46年
(1971)

瀬谷区総合庁舎が二ツ橋190に完成

昭和51年
(1976)

瀬谷市民の森がオープン

昭和53年
(1978)

区の推計人口が10万人を突破

昭和59年
(1984)

瀬谷区の花・木・鳥(アジサイ・ケヤキ・オナガ)を制定

昭和63年
(1988)

瀬谷区のシンボルマークを制定

平成2年
(1990)

区の推計人口が12万人を突破

平成6年
(1994)

宮沢ふれあい樹林、東山ふれあい樹林がオープン

平成7年
(1995)

瀬谷区地域防災拠点を指定

平成14年
(2002)

瀬谷区マスコットキャラクターせやまる誕生

平成19年
(2007)

瀬谷区連合町内会が第11回防災まちづくり大賞(総務省主催)を受賞

平成24年
(2012)

バリアフリー等に対応した新しい瀬谷区総合庁舎が完成

平成25年
(2013)

二ツ橋公園完成

豆知識

二ツ上橋交差点際に慶長18年(1613)徳川家康がこの地に休息して詠んだという和歌を記した記念碑があります。

絹の道に関わる歴史

瀬谷では明治中期頃から昭和30年代頃まで養蚕業が盛んでした。養蚕製糸をめぐる瀬谷の歴史についてご覧ください。

絹の道に関わる歴史その1(PDF:10,649KB)
絹の道に関わる歴史その2(PDF:10,983KB)

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このページへのお問合せ

瀬谷区総務部区政推進課広報相談係

電話:045‐367‐5635

電話:045‐367‐5635

ファクス:045‐365‐1170

メールアドレス:se-kusei@city.yokohama.jp

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