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西区の歴史~写真で振り返る西区の歴史~

最終更新日 2019年1月23日

昭和30年代の桜木町駅付近の写真
昭和30年代の桜木町駅付近 (奥村泰宏氏提供)

明治5年(1872年)に新橋・横浜間の鉄道開通から130年あまりを経て、西区の表情はめまぐるしく変化しました。関東大震災、横浜の空襲、工業や商業の発展など、それぞれの歴史を持つまちと新しいまちが共存する西区。そんなまちの歴史や街並みを写真で振り返ります。

明治から大正へ

当時の横浜の様子を知る大きな手がかりに、そのころ発行された絵はがきがあります。主に外国人がお土産品として買い求めました。当時の風景や服装を今に残す、貴重な資料となっています。

紅葉坂の桜並木の写真
紅葉坂の桜並木 (横浜開港資料館提供)

現在の紅葉坂  正面には大観覧車 紅葉坂の桜並木の写真
現在の紅葉坂 正面には大観覧車 紅葉坂の桜並木 (横浜開港資料館提供)

掃部山公園の井伊直弼像の写真
掃部山公園の井伊直弼像 (横浜開港資料館提供)

現在の掃部山公園の写真
現在の掃部山公園 視線の先には高層ビル

開港の推進者、井伊直弼の像が掃部山公園に建立されたのは、1909年。この像は戦時中に金属回収され、現在の像は2代目です。

久保山の電車停留場の写真
久保山の電車停留場(横浜開港資料館提供)

現在の久保山の写真
現在の久保山

1904年に開通した市電は、区内各地を走り、区民に親しまれました。その後、交通事情の変化により、1972年に廃止されました。

関東大震災

1923年9月1日、午前11時58分ころ、関東を襲った大地震は市内各区域に壊滅的な被害を与えました。戸部署管内の被害は、全焼戸数1939戸、死者は1135人にのぼりました。

炎上する市街の写真
炎上する市街 「スライド西区の今昔」より

被災した横浜駅の写真
被災した横浜駅(横浜開港資料館提供)

崩れた野毛切り通しの写真
崩れた野毛切り通し 「スライド西区の今昔」より

震災後の青空教室 戸部尋常高等小学校の写真
震災後の青空教室 戸部尋常高等小学校 (横浜開港資料館提供)

戦争と復興

西区が中区から分離したのは、戦時中の1944年4月。当時の戸部警察署管内に属する町が西区となりました。区の庁舎は高島町付近に設置されました。1945年5月29日、いわゆる横浜大空襲があり、全市のおよそ三十四%、市街地・商業地の九十七%が被災し、西区のほぼ全域が焼失しました。

焼け野原の戸部1丁目付近の写真
焼け野原の戸部1丁目付近(横浜の空襲を記録する会提供)

食料の買い出しの写真
食料の買い出し (横浜の空襲を記録する会提供)

廃墟で遊ぶ子どもの写真
廃墟で遊ぶ子ども (横浜の空襲を記録する会提供)

終戦後も米軍の接収などにより横浜の復興は遅れました。横浜駅西口は当時、野原や石炭置き場となっていました。接収解除後の昭和30年代ころから、都市計画が進み、ようやく本格的な開発が行われました。

昭和28年ころの横浜駅西口の写真
昭和28年ころの横浜駅西口(奥村泰宏氏提供)

昭和31年に開設した横浜駅西口名品街の写真
昭和31年に開設した横浜駅西口名品街

街角での靴磨きの写真
街角での靴磨き(奥村泰宏氏提供)

野毛山動物園の象のハマコの写真
野毛山動物園の象のハマコ(奥村泰宏氏提供)

桜川と通称「鯨横丁」昭和25年ころの写真
桜川と通称「鯨横丁」昭和25年ころ(奥村泰宏氏提供) 桜川は現在埋め立てられ、道路となっています。

そして21世紀へ

横浜の21世紀にふさわしい新都心をつくりだすために、西区内で進められている「みなとみらい21」。もとは造船所だったこの地域も、いまや横浜を代表する商業、観光地区となっています。
この一大プロジェクトは、未来に向かって現在も進行中です。これからの百年の間に、この町はどんな姿を見せてくれるのでしょうか。

1900年代初頭の横浜船渠会社の写真
1900年代初頭の横浜船渠会社 現在の日本丸やドックヤードガーデン付近「横浜商工会議所月報」118号(横浜開港資料館提供)

横浜博覧会の写真

横浜博覧会は1989年に、横浜市政100周年、開港130周年を記念して開催されました。総入場者数は約1333万人を記録しました。

造成当時のみなとみらい21地区の写真
造成当時のみなとみらい21地区(奥村泰宏氏提供)

発展するみなとみらい21地区の写真
発展するみなとみらい21地区

横浜駅の20世紀

初代横浜駅の写真
初代 1871年~(横浜開港資料館提供)

日本最初の鉄道が新橋~横浜に開通した際に開業。現在の桜木町駅の場所にありました。

二代目横浜駅の写真
二代目 1915年~(横浜開港資料館提供)

現在の高島町の場所に建築されました。関東大震災により焼失。わずか八年の命でした。

三代目横浜駅の写真
三代目 1928年~(奥村泰宏氏提供)

震災後、現在と同じ場所に建築されました。当時、東洋一のモダンな停車場と報じられていました。

四代目横浜駅の写真
四代目 1980年~

三代目駅の老朽化により、付近の都市計画の一環として建築されました。現在の横浜駅です。

このページへのお問合せ

西区総務部区政推進課広報相談係

電話:045-320-8321

電話:045-320-8321

ファクス:045-314-8894

メールアドレス:ni-koho@city.yokohama.jp

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