西区制70周年記念 西区大好き!魅力再発見 -西区の温故知新-保土ケ谷道
最終更新日 2019年1月21日
保土ケ谷道
「保土ケ谷道」は、東海道の主要な宿場だった保土ケ谷宿と戸部村との行き来に使われていました。横浜道が完成する前は、戸部村と旧東海道を結ぶ唯一の陸路だったのです。旧東海道の岩間町から分かれ、現・藤棚地区の商店街を抜け、願成寺門前を通って戸部一丁目付近で横浜道と結ばれます。主に港湾や外国商館などで働く人たちに利用され、開港後の横浜の発展に欠かせない道でした。
日本で初めての近代水道が横浜に完成
西区には、みちは道でも管が通るみちがあります。明治20(1887)年に、イギリス人技師H・S・パーマーによって造られた水道道です。相模川を水源とする三井用水取水所(現・相模原市津久井町三井)から野毛山浄水場(現・老松町)まで導水管を埋設。ろ過した水に圧力をかけ、鉄管を通して送水する方式の近代水道が日本で初めて横浜に完成しました。当時は離れた場所から水が届くのは画期的なこと。水栓から水が出るまで信じられない人が多かったそうです。現在も西谷浄水場から野毛山配水池に送られる水は、この道の下の送水管を通っています。ちなみにパーマーは横浜築港工事を指揮し、1号・2号ドックの基本設計にも携わった人です。
横浜にゆかりのある人が多く眠る
久保山墓地は明治7(1874)年、横浜で初めての公営墓地として設置されました。山手の外国人墓地には横浜にかかわりのある外国人が埋葬されているのに対し、新田開発に力を注いだ吉田勘兵衛(よしだかんべえ)や三渓園を造成した原富太郎(はらとみたろう)など多くの日本人が眠る久保山。総面積約10万平方メートルという広大な墓地には、戊辰(ぼしん)戦争の戦死者が祀られた官修墓地や、関東大震災で亡くなった人の合祀霊場もあります。
東久保町には、人のふれあいと人情があります
亀井トミ子さん・滝沢敬一さん
東久保町は、昔はほとんどが畑でした。夏になると、かぼちゃ畑の跡の広場で、みんなで盆踊りをやっていました。東湯という銭湯があり、近くの商店街には肉屋、魚屋、八百屋、薬屋から下駄屋まであり、生活に必要なものが全部久保山の上でそろったんです。今でもお互いに支えあう人情豊かな街です。
ログハウスが建つ神奈川大学発祥の地
昭和51(1976)年に開園した境之谷公園は、神奈川大学発祥の地として知られています。昭和3(1928)年に中区で開設された横浜学院が翌年この地に移り、神奈川大学の前身である横浜専門学校となりました。学校が神奈川区へ移転した昭和5(1930)年以降は専門広場と呼ばれ、昭和59(1984)年に神奈川大学発祥の地として銅像が建てられました。現在では、境之谷公園として整備され、公園内にはこどもログハウス(ちびっことりで)が建っています。平日休日を問わず、たくさんの子どもたちが訪れる遊び場となり、いつも子どもたちの歓声が絶えません。
「専門広場」と呼んでいました
山梨弘一郎さん
公園には青年の像が建っています。制作者は横浜出身の著名な彫刻家、井上信道氏です。この土地は、横浜駅から大桟橋まで一望できる眺めの良い場所でした。ここに昭和4年3月、神奈川大学の創始者米田吉盛先生が開いた専門学校が移ってきたんです。質実剛健・積極進取の精神をもつ青年を、日本の玄関口である横浜で育てたいとの思いからだそうです。しかし学校拡張の際に用地の買収ができず、この地での発展を断念したといいます。わずか1年数か月で廃校となった学び舎は、その後「専門広場」と呼ばれるようになりました。今では青年の銅像だけが残っていて、時の移り変わりを感じます。
地域の人の「専門広場」の思い出
◎小林隆志さん
広場で町内の運動会をやっていました。樽転がしや仮装行列などをやった思い出があります。また、ひと昔前までは、大晦日に神奈川大学の応援団が銅像の前に並んで校歌を斉唱していました。箱根駅伝に出場する選手たちを鼓舞していたんでしょうね。
◎小川すみ子さん
当時は広場の上は松林でした。空襲の時には、そこの防空壕に避難して震えていました。
◎田辺房三さん
松林の脇に湧水があり、小さな池になっていました。ヒキガエルを捕まえて遊びました。
出雲大社の分霊を祀(まつ)る古社
白鳳3(652)年に創建されたという杉山神社は、出雲大社の主神、大己貴命(おおなむちのみこと/大国主命・おおくにぬしのみこと)の分霊を祀った古社です。社殿前の狛犬の手前には、打出の小槌を持つ一対のねずみの石像が鎮座しています。これは大己貴命に仕えて功があったとされる神使をモチーフにして、創建1350年の記念に誕生したもの。境内には横浜市指定の古木ケヤキもあります。
野毛山や掃部山などがある西区は、まさに坂の街。個性的な名前の坂道と、その歴史や由来を紹介します。
くらやみ坂(くらやみざか/伊勢町3-133付近)
名前の由来は諸説あり、暗闇坂、蔵止坂、鞍止坂などと表記されています。
百段坂(ひゃくだんざか/霞ケ丘15付近)
地元では百段坂と呼ばれているが、実際には113段ある。戦前からある坂道。
植勘坂(うえかんざか/霞ケ丘59付近)
坂の中ほどにある老舗の植木屋さんのご先祖の名を冠した坂。登りきると右は野毛山。
つながりの坂道(つながりのさかみち/浅間町3-237付近)
浅間台地域の人たちの協力により2011年に完成。名前は生徒による公募で決定。
紅葉坂(もみじざか/紅葉ケ丘9付近)
伊勢山皇大神宮の前にあたる一帯には紅葉の木が多かったことからこの名が付きました。
天神坂(てんじんざか/東ケ丘7付近)
吉田新田の埋立用の土取場だった天神山。高さ45mほどの山に続く石段の道。
尻こすり坂(しりこすりざか/西戸部町1-48付近)
あまりの急な勾配に、車をひく人たちがお尻で押さえながら下ったという説から「尻こすり坂」と言われるようになりました。
らくだのこぶのような坂道です
西区郷土史研究会 田村泰治さん
水道道の藤棚から野毛山までの区間の坂道は、上り下りを繰り返してらくだのこぶのようであることから「らくだ坂」とも呼ばれていました。この区間で最も急な坂が尻こすり坂です。かつて、中区の急坂である地蔵坂には、荷車を押すことを仕事とする「オシコ」がいたといいますが、もしかしたら西区の急坂にもいたかもしれません。
戦国時代に建立
その昔、行基菩薩がこの地で、のどの渇きをおぼえたところ、一匹の亀に導かれて清水を得て渇きをいやしたという寺伝がある願成寺。建立は戦国時代、天文期(1532~55)といわれる西区の古刹です。山門下のお堂には、関東大震災で焼けた藤棚交差点あたりにあった北向地蔵や、岩亀横丁と願成寺境内にあったお地蔵様3体が祀られています。現在でもお地蔵様にちなんだ縁日が開かれています。
西区は造船所や工場があり、銭湯も多くありました。いまも残っている西区の銭湯を紹介します。
昔はお風呂のある家が少なく、銭湯を利用する家庭がほとんどでした。造船所や工場が建設され、西区で働く人が増えていくに伴い、銭湯の需要も増え、昭和4年頃は西区内の銭湯は69軒と、市内トップ。また旧三菱正門の近くには、豆腐屋と酒屋も多く、銭湯帰りに豆腐と酒を買って帰る姿も見られたそうです。その後、内風呂の普及により、現在西区で営業している銭湯は6軒。当時の面影がいまも残っています。
名称 | 住所 | 営業時間 | 問合せ |
---|---|---|---|
萬歳湯(ばんざいゆ) | 中央1-23-3 | 14時30分~23時 | 321-2879 |
太平館(たいへいかん) | 久保町24-34 | 15時~22時30分 | 231-8484 |
朝日湯(あさひゆ) | 中央2-44-6 | 15時~23時 | 321-5472 |
記念湯(きねんゆ) | 戸部本町45-4 | 15時~24時 | 322-6244 |
中乃湯(なかのゆ) | 藤棚町2-197-37 | 15時~22時 | 241-2959 |
松島館(まつしまかん) | 戸部町4-166 | 15時~22時 | 231-7435 |
銭湯は今も昔も社交の場です
記念湯店主 髭内(ひげうち)隆史さん
お客様同士で世間話や趣味の話で盛り上がり、お風呂の後で飲みに行ったり、旅行に行ったりと銭湯がきっかけで知り合った人たちが仲良くなっています。
区境に架かる川のない橋
南区との区境に架かっていて「横浜市認定歴史的建造物」の指定を受け「かながわのはし100選」にも選ばれている名橋です。昔はこの下を市電が走っていました。関東大震災のあと再建され、昭和3(1928)年からその美しい姿を見せています。
7回もの大火を乗り越えたお寺
東福寺は鎌倉時代中期の1243年に、元心法印が開山したと伝えられます。江戸時代には徳川家康公から寺領を賜り、葵の御紋を寺紋として使うことの許された名刹です。幕府との縁を表す御朱印寺の証しとして、江戸期に朱塗りとなった山門。現在の町名、赤門町の由来となっています。創建以来このお寺は7回も焼失し、今の伽藍は昭和36(1961)年までに再建されました。赤門を入ると正面に、えん魔堂、右手に本堂。その裏手墓地には、伊藤博文ら政財界の大物と親交を深めた料亭富貴楼の女将お倉の墓や、本人より寄進された大きな石の水鉢などが残っています。幾度も大火を乗り越えた東福寺は、威風堂々とした風格を今に伝えます。
明治時代には境内に、学校の校舎がありました
東福寺住職 増田真祐(しんゆう)さん
江戸城を築城された太田道灌や、横浜の発展に貢献された伏島近蔵などが、東福寺の再建に尽力されました。特に伏島さんは明治6年、東福寺境内に立志学舎という学校を建て地域の教育にも貢献され、その学校は市立太田小学校として今も残っております。