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幕末から未来が見えるよこはま散歩道

最終更新日 2019年1月9日

よこはま散歩道の地図
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掃部山公園と横浜能楽堂

掃部山(かもんやま)は、江戸時代には不動山、明治の初めには鉄道山と呼ばれていた。鉄道建設の時、来日した外国人技師の官舎がこの付近にあり、鉄道開通後もここの湧き水が鉄道用水として利用されていた。(注:現在、給水場跡は外から見ることはできません。)鉄道山が掃部山に変わったのは、明治17年(1884)で、旧彦根藩士の有志が横浜開港に尽力した元藩主の大老井伊掃部頭直弼(いいかもんのかみなおすけ)の記念碑建設のために購入し、この山が井伊家の所有になってからである。その後、大正3年(1914)に園地などが市へ寄付され、掃部山公園として公開された。公園内に井伊直弼の銅像が建てられている。

また、平成8年(1996)には、公園内に横浜能楽堂が建設された。館内の本舞台は、明治8年(1875)に旧加賀藩主の前田斉泰(なりやす)の隠居所内に建てられ、戦後は染井能舞台として、能楽再興の本拠地となった歴史的に貴重なもので、この部材をそのまま復元し活用している。

掃部山公園にある井伊掃部頭直弼(いいかもんのかみなおすけ)の記念碑の写真

井伊掃部頭直弼(いいかもんのかみなおすけ)とペリー提督の画像


横浜能楽堂本舞台の写真


神奈川奉行所跡の碑と紅葉坂

安政6年(1859)、横浜開港直後に開設された神奈川奉行所は、戸部役所(現在の県立図書館周辺)と横浜運上所(現在の中区神奈川県庁のあたり)からなり、前者は租税の徴収や裁判などの事務を、後者は外交に関する事務を行った。
また、奉行所跡の碑が建てられている紅葉坂は、坂道の両側に紅葉が植樹されたことから名付けられた。西区で少年期を過ごした有島武朗の「或る女」に紅葉坂が登場している。

金星太陽面経過観測記念碑

明治7年(1874)12月9日、太陽と地球の間を金星が通過するという珍しい現象があった。日本が観測に最も適していたため、長崎にアメリカ隊、神戸にフランス隊が来日し、横浜ではメキシコ隊と日本隊が観測を行った。昭和49年(1974)には県天文アマチュア連合が設立期成会をつくり、県と市の協力のもとに碑を建立した。

ブラフ積み

長さ70~80cm、20cm角程度の房州石を用い、1段に長手面と小口面とを交互にみせるフランス積みに似た積み方である。居留していた外国人が、横浜の山手を「ブラフ(bluff)」と呼んでいたので、山手地区に多いこの積み方を「ブラフ積み」と呼ぶようになったといわれている。

岩亀横丁と岩亀稲荷

幕末安政の頃、現在の中区横浜公園のあたりに岩亀楼(がんきろう)という遊郭があった。岩亀楼の遊女喜遊(亀遊説もある)は、外国人に言い寄られたが、それを拒み、「露をだにいとう倭(やまと)の女朗花(おみなえし)ふるあめりかに袖はぬらさじ」という辞世を残したと伝えられている。その岩亀楼の遊女達が静養のために利用した寮がこの付近にあったことから、岩亀横丁と呼ばれるようになったといわれている。
また、この横丁のなかほどには、静養に訪れた遊女がお参りしたといわれている稲荷がある。岩亀稲荷と呼ばれ、今も地域の人々の手で大切に守られている。

戸部の職人さん

戸部には、今も、伝統や昔から伝わる技を大切にして働く職人さんがいる。県指定銘菓をつくる和菓子屋さん、Yシャツの仕立屋さん、防具屋さん、ふすまや障子の張替えなどを行う経師屋さん、県内に数少なくなった桐タンス屋さんなどなど。職人さんの仕事は、指先の器用さを要するもので、長い時間をかけた修行による職人魂に支えられている。

横浜道

開港場としてひらける前の横浜は、東海道筋と連絡するには、保土ケ谷から井土ヶ谷、蒔田を通るか、神奈川からの舟運に頼るしかなかった。開港にともない、東海道と横浜の間を結ぶ連絡路として幕府によって設けられたのが横浜道である。
ほぼ、現在の西区浅間町の浅間下交差点付近から新横浜通り、平沼商店街を抜け、戸部通りを通り、野毛坂交差点を左折し、都橋、吉田橋を渡って関内へ通じていた。

伝御所五郎丸墓

御所五郎丸(ごしょごろうまる)の墓と伝えられる五輪塔がある。五輪塔とは、鎌倉時代から室町時代にかけて多くつくられた武士や僧侶などの墓や供養塔である。門の脇には、建久4年(1193)に源頼朝が富士の巻狩をした夜、曽我兄弟が父の仇の工藤祐経を討ちとったが、その時に五郎丸が兄弟を祐経の館に導き本望をとげさせたという話が刻まれている。

伊勢山皇大神宮

もと戸部村東部の伊勢山(現在の掃部山公園東北端あたり)にあった祠(ほこら)を明治3年(1870)、神奈川県権知事井関盛良の告諭により、野毛山に移して伊勢山皇大神宮ととなえ、横浜の総鎮守と定められたものである。このときから所在地を伊勢山と呼ぶようになった。

二代目横浜駅遺構

二代目横浜駅は、大正4年(1915)に開業され、大正12年(1923)に関東大震災のため消失した。わずか8年という短命で、半ば「幻の駅」といわれている。この遺構は、駅舎の基礎部分にあたる。ちなみに、初代横浜駅は、明治5年(1872)に開業した現在の桜木町駅である。

二代目横浜駅

二代目横浜駅遺構の写真


二代目横浜駅の写真


幕末から未来が見える横浜散歩道は市民参加でつくりました

魅力資源とルートを検討中のメンバーの写真

横浜市西区の戸部地区では、西区第1地区町内連合会・横浜市・東京急行電鉄(株)をメンバーとする「戸部地区整備促進連絡協議会」を設置し、戸部地区の振興策に取り組んでいます。
その取り組みのひとつとして、「知り合いが訪ねてきた時、どのルートで戸部地区を案内するか?」という視点で、この地区の方々が街歩きや意見交換を行いながら、戸部地区の魅力ポイントをめぐるルートづくりを行いました。
このマップは、その成果をまとめたもので、戸部地区の魅力をPRするために平成12年に作成し、平成22年2月に一部改訂しました。


街歩きするメンバーの写真


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西区総務部区政推進課広報相談係

電話:045-320-8321

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ファクス:045-314-8894

メールアドレス:ni-koho@city.yokohama.jp

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