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横濱開港菜その3(アスパラガス、サヤエンドウ、ラディッシュ、セロリ)

最終更新日 2019年3月4日

横濱開港菜(全14種)

別名:マツバウド

アスパラガス

日本にオランダ人によって伝えられたのは開港以前ですが、主に観賞用で、本格的な栽培が始まったのは開港後の根岸からでした。文久3(1863)年に居留英国人カーティスにより栽培が試みられ、日本人の本格的な栽培は、明治12(1879)年頃、根岸町の宮崎留五郎が当時の港町青物市場の西洋野菜問屋伊勢屋の委託で作付けした最初であったようです。宮崎氏が栽培に成功したのを機に近隣の人々により面積が増加しました。当時は軟白のホワイトアスパラガスを生産し、市内の料理店や外国船向けに販売されました。


別名:三度豆(サンドマメ)

サヤエンドウ

原産地は中央アジアとされ、メソポタミア時代から食べられていたようです。未熟マメをさやごと食べるのでサヤエンドウと言います。神奈川奉行が文久3(1863)年に栽培を試みたといわれています。


ラディッシュ

ダイコンの中で最も小さく、古代エジプトでは、すでに食べられていたようです。文久3(1863)年に神奈川奉行の命令で栽培が始まり、その後子安で栽培が盛んになりました。種子を植えて収穫までの時期が20日程度と短いのが特徴で、名前の由来にもなっています。環境を選ばないためにヨーロッパにも広く分布し、日本でも全国各地で栽培されています。


セロリ

開港から明治末期まで子安方面の特産物で同地方ではセリとも称されました。古代ギリシャ時代やローマ時代には薬用とされていました。安土・桃山時代に朝鮮から伝わりましたが、当時は普及しませんでした。現在食べられているのは、開港当時入ってきた西洋種です。文久3(1863)年に神奈川奉行が居留地向けに栽培した西洋野菜の一つでもあり、日本人の本格的な栽培としては、同年、根岸村の近藤伊勢松氏が外国人による実地指導を受けて栽培を始めたといわれます。子安地方では慶応2(1866)年子安町の堤春吉が米国より種子を取り寄せ近隣の農家とともに栽培を試みました。その後、清水常吉、吉田虎吉の両氏が熱心に栽培法を研究したことにより栽培が広がり、日露戦争後の好景気には横浜のセロリ栽培が最盛期を迎え、当時は生麦境より入江橋に至るまで東海道沿いの海岸はほとんどセロリ畑となりました。その後は、栽培に適した海岸沿いの砂地には麒麟麦酒会社の工場などが建設され、都市化が進みました。

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