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横濱開港菜その1(トマト、レタス、キャベツ、カリフラワー、ニンジン)

最終更新日 2019年3月4日

横濱開港菜(全14種)

別名:赤茄子(アカナス)

トマト

トマトの原産地はペルー。15世紀末にコロンブスが持ち帰り、ヨーロッパ各国に伝わったとされています。日本へは、江戸時代の始め頃オランダ人によって伝えられましたが、当初はもっぱら観賞用でした。横浜開港以降に、改良されたトマトが再度伝えられてから、トマトが食用として栽培され始めました。
食用のトマトが初めて栽培されたのは、文久3(1863)年、中区末吉町(吉田家分家の屋敷内)の畑。神奈川奉行所の指定で西洋人の監督のもと、西洋野菜の試作が行われたときのことで、その中の1種がトマトでした。
その後、西洋野菜栽培農家の1人である清水與助が、トマトの加工事業を始めました。清水與助は、ケチャップの作り方を横浜の外国人スポーツクラブの料理人、細貝音八から手ほどきを受け、明治29(1896)年に生産。これが、国産初のトマトケチャップといわれています。
昭和10(1935)年頃からは、生食用トマトの栽培が一般的になっていきます。第2次大戦前後の一時衰退期ののち、昭和26(1951)年頃、平塚の旭村から油紙によるトンネル栽培技術を導入。さらに、ビニールフィルム、ポリフィルムが開発されたことにより、トンネルトマトの栽培技術が確立されました。それによって、横浜市では新羽地区を中心に、港北区・緑区・都筑区・青葉区へと栽培エリアも広がり、横浜を代表する夏野菜となっています。


別名:蒿苣(チシャ)

レタス

原産地は地中海沿岸から西アジアとされ、日本でも「チシャ」という名前で、1000年以上前から栽培されていました。しかし、現在のレタスのように玉にはならず、1枚ずつ掻きとって食べる苦味の強い種類でした。現在のレタスのような結球するタイプは幕末に横浜から入り、広がったと考えられます。


別名:玉菜(タマナ)

キャベツ

原産はヨーロッパ。江戸時代中期に長崎より伝えられた時は、現在のキャベツとは違い、近年、青汁に良く使われているケールに近いものでした。その後、江戸時代の人々はそれを観賞用として品種改良し、「葉牡丹」が生まれました。
現在のような食用のキャベツは、開港とともに居留地の英国人・カーティスによって栽培が始められました。それを見習った根岸村の清水辰五郎が、カーティスの栽培したキャベツから種子を採種したことが、日本人による本格的なキャベツ栽培の始まりと考えられます。その後、明治35(1902)年には大衆向けのサクセッションという品種が登場し、横浜での栽培が広まっていきました。
大正時代には、神奈川地区で一部の農家によって、秋まき・初夏取りキャベツの栽培が行われるようになっていました。昭和10年代になると、夏まき・秋冬取りキャベツも栽培され始め、戦後の昭和21(1946)年頃からは、作付面積も増えていきました。
この頃は、洋種系のアーリーサマーという品種から、農家が自分たちで採種していました。その後、品質を保持する必要性から、地域で共同採種する組合を立ち上げ、昭和32(1957)年頃に「神奈川かんらん」という品種の育成に成功。「神奈川かんらん」は品質・食味とも高評価を受け、神奈川地区だけでなく、隣接する保土ケ谷区や港北区にも広がり、神奈川特産キャベツとして名を知られるようになっていきます。
昭和40年代になると、形そろいのよい品種が出回るとともに、消費者の好みも大きく食味のよい新しい品種に移っていったこともあり、共同採種から種苗メーカーの育成品種を栽培するようになりました。
そんな背景の中で、現在でも、横浜市内のキャベツ生産者は、秋まき・初夏取りと、夏まき・秋冬取りのキャベツを出荷しており、しっかりと伝統を受け継いでいます。キャベツは神奈川区を中心に、市内で生産される野菜の約19%を占める、横浜市内生産量第1位、全国約1800市町村中第10位を誇る農産物(平成18年度作況調査)になっています。


別名:花キャベツ

カリフラワー

地中海原産で、ルーツはケールの野生種とされています。開港から昭和中期までは、ショーフラと呼ばれ主に子安および根岸で多く栽培され、ブロッコリーより普及していた野菜です。
エドワード・ローレイロが栽培をしていた記録があり、日本人では慶応2(1866)年に子安村の堤春吉がセロリやラディッシュなどとともに栽培を始めたとされています。そして、子安と根岸で栽培が盛んになり、子安では、最盛期の明治44から45(1911から1912)年頃に、作付面積は約5ヘクタールありました。
昭和の初め頃になると、子安の打越地区や生麦神ノ木あたりの海岸地域で主に生産され、当時、平野喜四郎が「ビュリティー」という品種を栽培していた記述が残されています。
昭和24(1949)年頃には、戦前からの栽培経験者がいたことや、市場の評価がよかったことなどから、港北区の高田地区で西洋野菜類を栽培する農家が増え、昭和26(1951)年に「高田洋菜組合」を設立。カリフラワーをはじめ、レタス、パセリ、ブロッコリーなどを生産していました。作付面積は、昭和50年代に最盛期を迎え、秋取り12ヘクタール、春取り5ヘクタールにまで増えました。現在でもカリフラワーを中心に、栽培・出荷を続けています。


ニンジン

ニンジンの原産地はアフガニスタンですが、ヨーロッパに渡って西洋種ができ、中国に伝わって東洋種ができました。日本に東洋種が伝わったのは江戸初期。現在一般的にニンジンと呼ばれているのは、実は、江戸後期に伝わった西洋種です。
横浜市では、港北区荏田の小黒(鮮紅大長)ニンジンが、昭和30年代まで人気がありました。また、通称「横浜三寸ニンジン(別名子安三寸、金港三寸、仏向三寸)」は、神奈川区子安の農家が、ヨーロッパ系のオックスハートという品種を改良したもので、昭和50年代初期まで栽培されていました。
その後、長さが15から20センチある「五寸」という、現在最も一般的な品種にとってかわり、神奈川区を中心に、保土ケ谷区、瀬谷区でも栽培されています。


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