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横濱開港菜とは
最終更新日 2019年1月8日
私たちの食卓に彩を添えるさまざまな野菜。その多くが、開港時の横浜に根付いた西洋野菜です。開港150周年を記念して、横浜で初めて作られ、横浜に根付いた西洋野菜を「横濱開港菜」と名づけ、紹介します。
横浜の西洋野菜栽培の歴史
吉田新田での試作を皮切りに根岸、子安、磯子の各地で西洋野菜栽培が始まった!
230年にもおよぶ徳川幕府の鎖国時代に終わりを告げた「安政の開国」。このとき開かれた5つの港が函館、新潟、神戸、長崎と、そして横浜でした。これらのまちは諸外国の文明や文化と触れる窓口となり、日本各地にその文化を広める役割を担ったのです。
開国とともに、国際貿易港となった横浜ですが、もとは半農・半漁の小さな村。開港後は西洋建築が建ち始め、ガス灯や水道が整備されるなど、その変貌は目を見張るほど。人々の暮らしにも、牛乳やアイスクリーム、ビール、パンなどの食品から、マッチやせっけんなどの日用品まで、西洋文化が入ってきました。そして、その一つが西洋野菜だったのです。
当時、日本でもダイコンやゴボウ、サトイモ、ナス、ホウレンソウなどの野菜を加熱して食べてはいましたが、西洋人は自分たちの食生活に欠かせない西洋野菜の栽培を自給自足的に始めたのです。
開港当時、横浜居留地に住む英国人・カーティスは山手方面の肥沃な土地に目をつけ野菜の栽培を始めました。また、初代駐日総領事ラザフォード・オールコックが書いた「大君の都」によれば、エドワード・ローレイロが横浜近郊にレタス、パセリ、キャベツ、カリフラワーなどを導入することに成功したとあります。
その後、西洋野菜の需要の高まりを受け、神奈川奉行が吉田新田(現在の中区末吉町)で西洋野菜の栽培(キャベツ、イチゴ、ニンジン、セロリなど)を試みたのを契機に、根岸の清水辰五郎、近藤伊勢松、子安の堤春吉、磯子の井野銀次郎、宮崎留五郎らが横浜に多くの西洋野菜を定着させていきました。
その後の西洋野菜の栽培については、導入年表をご覧ください。
横濱開港菜(横浜市における西洋野菜)
横濱開港菜(全14種)
横濱開港菜資料
横濱開港菜を特集した新聞とパンフレットを作成しました。
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みどり環境局農政部農業振興課
電話:045-671-2637
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