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最終更新日 2019年2月20日
大正から昭和初期にかけて行われた鶴見・川崎地区の大規模な埋立事業は、「京浜埋立の祖」といわれている実業家・浅野総一郎によるものです。
大正2年に着工した埋立は、大正11年までに現在の末広町、安善町の埋立が完成し、旭硝子、浅野セメント、日本鋼管製鉄所などの工場が進出しました。
さらに川崎市域の海岸も埋め立てられ、昭和3年、当初予定の500万平方メートルの埋立が完成しました。
その後、横浜市も公共事業として埋立事業を進め、昭和11年には大黒町の埋立も完成し、さらに多くの工場が進出しました。
埋立の経緯についてわかる本をご紹介します。
『東京湾埋立物語(外部サイト)』
東亜建設工業株式会社/[編] 東亜建設工業 1989年
東亜建設工業の社史ですが、浅野総一郎の生涯や、第二次世界大戦終戦までの京浜工業地帯の埋立の経緯について、わかりやすくまとまっています。
『京浜都市問題史(外部サイト)』
山田操/著 恒星社厚生閣 1974年
戦前を主に対象とした京浜地帯における都市形成、都市問題の発展過程を体系的に明らかにする論文です。
『稼ぐに追いつく貧乏なし(外部サイト)』
齋藤憲/著 東洋経済新報社 1998年
京浜工業地帯の生みの親とも呼ばれる浅野総一郎とその一族の物語。
また東亜建設工業株式会社から提供を受けた埋立関係資料をデジタル画像でご覧いただけます。(東京湾埋立株式会社は、東亜建設工業株式会社の前身です)
画像の二次利用に関しては、東亜建設工業株式会社広報室までお問合せください。
大正11年7月
1920年(大正9年)に設立された東京湾埋立株式会社は、大正・昭和期に東京湾の埋立を牽引していた会社です。計画図を年代順に比べてみていくと、埋立の進捗状況がわかります。
大正12年6月
昭和3年初頭
昭和14年
昭和14年
昭和29年
東京湾埋立株式会社は1932年(昭和7年)に請負部門を港湾工業株式会社として独立させますが、1944年(昭和14年)に再び合併して、東亜港湾工業株式会社となりました。
発行年不明
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