紙芝居口演「おじいちゃんのかみしばい」
第1場面
日本では明治から昭和に、日清日露戦争、太平洋戦争がありました。太平洋戦争の時、男の人達はほとんどが戦争に参加するために、近所の人とお別れをして戦場に行きました。その時、万歳、万歳と云って旗を振り見送りました。
第2場面
戦争中の南太田小学校の風景です。兵隊さんが見守る中で勉強しました。三年生以上の子供達は、両親から離れて安全な場所で生活しました。これを学童疎開といいます。欠席が多いのは食べ物が無くて学校に通えない生徒がいるためです。
第3場面
さらに食べ物が不足してきた為に、一杯の雑炊とすいとんを求めて、町の食堂に長い間並ばなければなりませんでした。雑炊とは味の付いたお粥で、すいとんとは小麦粉の団子が入ったおつゆです。
第4場面
敵の飛行機による攻撃から身を守る為に、山の中や地下に防空壕を造って避難しました。防空壕とは、スコップやツルハシなど、穴を掘る道具を使って掘った洞窟です。防空壕の中は、板などを敷いて、入り口に筵を掛けただけの粗末な造りでした。この絵は電灯を引いた豪華な防空壕の例です。
第5場面
今から数十年前に横浜空襲がありました。(1945年(昭和20年)5月29日。)空にはB29爆撃機や小型戦闘機が沢山飛び交い、焼夷弾や爆弾が落とされました。多くの家が火災を起こし、夜の空が真っ赤に燃え上がり、沢山の人達が死んだり、怪我をしました。横浜市内だけでなく、藤沢市など近くの市にも大きな被害がありました。
第6場面
アメリカの戦闘機グラマンが飛んできて、保育園も銃撃されました。機関銃の弾が園児たちを襲う、とても恐ろしい光景でした。戦争が進むにつれて、毎日が危険な日になってきました。
第7場面
シュル シュルー、ものすごい数の焼夷弾が、台風の雨のように落ちてきて二階の屋根を貫き、爆発して家が燃えています。二階の窓から助けを求める女の人が見えます。非常用の梯子や手押しの消火ぐるまも見えます。竹製の垣根や石垣の下の物干しなど、当時の生活の様子が目に見える様です。
第8場面
横浜大空襲、黄金町付近の様子です。焼け焦げた電車の窓から出ようとして力尽きて死んでしまった人が見えます。リヤカーで死んだ人を運ぶ人の姿など、痛々しい光景が色々な所で見られました。右側には死んだ人の山にかぶせられた、トタンか板のような物が見えます。連日、昼夜関係なく、空襲は続きました。
第9場面
駄菓子屋の前の空き地で子供達が遊んでいます。ベースを置いて手打ち野球の三角ベースをしている子供達。弟や妹を背負っているキャッチャー、ボールを手で売っているバッターの珍しい遊びの風景が見られます。縄跳びする女の子、ビー玉遊び、タイヤ転がしや、陣取り遊びの子供達の姿は、今では懐かしい風景です。
第10場面
掘って造った川、堀割川の橋の上から川に飛び込む子供達です。当時の子供達は、赤いふんどし姿で泳ぐのが当たり前でした。川の水はかなり綺麗で、川底には緑色の苔が生えているのが見られました。子供が立っている欄干の形が面白いですね。
第11場面
バクダンあられとポンせんべいの製造風景です。女の子が原料の米を持ってきて、製品のバクダンあられと交換します。ポンせんべいは炭火の上に加圧機を置き、ハンドルを回して加熱しながら圧力をかけ、急に圧力を戻してポンとせんべいの出来上がり。
第12場面
戦後、食べ物も自由に買うことが出来なくなりました。買う量が決められていて、配給のキップとお金を持って買いに行きます。醤油、味噌、油など容器を持って買いに行きました。当時使われていた、量り売りの為の天秤ばかりと台秤が見えます。
第13場面
さらに食べ物が足りなくなり、お店に品物も無くなってきたので、農家に行って持っている着物や大切な物と米や麦、芋などの野菜と交換しました。バスは燃料が木炭で、坂道を登る馬力が無くて上れません。そこで乗客が降り、皆で押して登ります。子供連れの女の人が降りて荷物を持って歩いています。
第14場面
終戦直後の京浜急行南太田駅前の風景です。戦争で親を亡くした子供達は、進駐軍の兵隊の靴磨きをしてお金を稼いでいました。電車から降りた乗客の中には、買出しのおばさんや、戦争で傷ついた元日本兵がお金をもらうために立っている姿も見えます。町の将棋屋やチンドン屋、腹巻姿のおじさんがブッカキチョコレート氷をのみと金槌を使って削り、売っている姿も見えます。
第15場面
南太田小学校の冬の登校風景です。並んで集団登校している子供達の中には、ランドセルを持っていなくて風呂敷を背負った生徒もいます。親に連れられた小学生や幼い子供の姿が見えます。日の丸の国旗が掲げられていますが、何の日でしょうか?元旦か建国記念日かもしれません。
第16場面
小学校講堂の床の拭き掃除風景です。数人の生徒が並んで雑巾掛けをしています。大きなバケツから小さなバケツまに水を汲んで床に流し、その後を雑巾で綺麗に拭き掃除をしています。ちりとりやバケツが並んでいるのが見えます。
第17場面
戦後の紙芝居風景です。おじさんが拍子木を打って子供達を集め、水あめや酢昆布などを売って紙芝居をします。子供達はそれを食べながらおじさんの「黄金バット」を楽しみました。