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大橋新太郎関係資料

大橋新太郎(1863-1944)は、父・大橋佐平の創業した出版社・博文館を発展させ、明治から昭和の政財界にも大きな影響を及ぼした人物です。称名寺付近に別荘を所有した縁で、金沢文庫・称名寺の復興に貢献し、金沢の発展に大きく寄与しました。また、大橋図書館などの活動を通じて出版・図書館活動にも大きな貢献をしています。横浜市図書館の初代館長伊東平蔵も大橋図書館に関連した仕事をしていました。金沢図書館では、金沢区制70周年にあたる2018年6月に講演会「大橋新太郎と金沢」を開催して、参考資料としてブックリストを作成しました。さらに、金沢図書館開館40周年にあたる2020年10月に記念講演会「大橋新太郎と図書館」を開催しました。これを機会に、ブックリストに新しい資料を追加しました。

最終更新日 2020年10月14日

伝記や会社史

坪谷善四郎著
博文館新社
1985
博文館50周年(昭和12)に書かれた「稿本 大橋新太郎翁」を底本にしています。被伝者存命中に書かれたため、最晩年は年表のみの記述です。巻頭に関連写真、巻末に大橋新太郎の演説なども収録されています。

大橋新太郎「博文館王国」を築いた出版人

浅岡邦雄著
ミネルヴァ書房
2009
近代日本メディア人物誌 創始者・経営者編(外部サイト)
129-135pに記述。大橋新太郎の若い頃の写真があります。

坪谷善四郎著
栗田出版会
1974
大橋新太郎の父、大橋佐平の伝記。博文館 昭和7年刊の複製。

稲川明雄著
博文館新社
2005
上京前の、新潟県長岡(大橋佐平の出身地)時代の記述が豊富な伝記小説。

東京瓦斯
1976
大橋新太郎は明治30年から東京瓦斯の役員となり、渋沢栄一の信頼を得て多くの会社の経営に参加するようになりました。
112pと113pの間に明治31年の役員の集合写真があり、大橋新太郎の全身が映っています。
また、170pに渋沢栄一に関連した記述があります。

大倉紙パルプ商事株式会社100年史編纂委員会編
大倉紙パルプ商事
1989
博文館の製紙事業を担った「博進社」の社史があります。
博進社は明治30年に大橋新太郎のいとこ・山本留次が開業した製紙会社です。
昭和46年に合併し、大倉紙パルプ商事株式会社となっています。

東京堂
1990
東京堂は,大橋佐平の妻・松子の兄・高橋新一郎が興した博文館書籍の販売・取次をした会社です。
2代目の社長は大橋新太郎の弟・省吾です。6-7pに大橋家の詳細な系図があります。

田中治男著
東販商事
1975
昭和50年までの東京堂の歴史が読み物的に書かれています。

共同印刷株式会社社史編纂委員会編
共同印刷
1997
博文館印刷所は、明治30年に博文館専用の印刷工場として発足しました。
その後、大正14年に大橋新太郎の妹・幸子の夫・大橋光吉が社長となり、共同印刷株式会社となりました。
徳永直が参加した労働争議(太陽のない街)に関する記述や大橋家の系図、巻末に歴代役員の写真があります。

共同印刷株式会社社史編纂委員会編
共同印刷
2017
博文館や大橋新太郎関連の記述は、「共同印刷百年史」より簡略ですが、金沢区とのかかわりを記述したコラムがあります。

浜田徳太郎編
大橋芳雄
1958
共同印刷の前身・博文館印刷所などの社長を務めた大橋光吉(大橋佐平の婿)の伝記。
共同印刷株式会社五十年写真史、妻・大橋幸子、長男・大橋松雄の簡単な伝記もあります。

長谷川正一著
紙の博物館
1990
12-29pに王子製紙役員としての大橋新太郎の業績が書かれています。

日本工業倶楽部二十五年史 上巻(外部サイト) 下巻(外部サイト)

中村元督
日本工業倶楽部
1943
大橋新太郎は、日本工業倶楽部の設立から参加し、昭和10年から14年まで第3代理事長を務めました。
上巻の235pに大正10年の英米訪問団出発の挨拶、312pに帰国後の報告会の演説があります。
下巻の938p-986pが理事長時代の部分です。2代理事長の追悼会での挨拶文や支那事変に
対する政府への祝賀の文章があります。

日本工業倶楽部五十年史編纂委員会
日本工業倶楽部
1972
巻頭の「思いで写真集」に大正10年にワシントンのホワイトハウスで英米訪問団とともに撮影した写真があります。
302-304pに理事長時代の記述、巻末179pの座談会で大橋新太郎のエピソードがあります。

冨山房
1936
82-84pに大橋新太郎が書いた「坂本君と自分」があります。また、大橋新太郎のサインと思われるものがあります。

その他

神奈川県立金沢文庫
1960
大橋新太郎の写真、金沢文庫復興の寄付、式典の様子などの記述があります。
金沢文庫の古い写真もあり、巻末に写真の解説もあります。写真が不鮮明ですが「60年のあゆみ」とあわせると人物が特定できます。
年表に、昭和5年・来訪、昭和10年・陳列棚と仏像などの寄付、観音堂地鎮祭、昭和19年・逝去の記載があります。

神奈川県立金沢文庫
1990
30年誌にある古い写真がきれいに印刷されています。

神奈川県立金沢文庫
1995
大橋コレクションが7点カラーで掲載されています。
148-152pに「大橋コレクションの大橋新太郎氏について」では、大橋新太郎と金沢文庫のかかわりが詳しく記述されています。
また、153-154pには略年表もあります。

神奈川県立金沢文庫
2002
18-23pに大橋新太郎コレクションの写真などがあります。

神奈川県立金沢文庫
2003
42pに大橋新太郎と大橋養鶏場の写真。43pに大橋別荘発行の牡丹の絵葉書があります。

神奈川県立金沢文庫
2010
6pに金沢文庫再建の際の契約書や大橋新太郎の写真などがあります。

神奈川県立金沢文庫
2011
9、12pに大橋須磨子の系図と記述、10pに大橋須磨子と勇吉の写真があります。

金沢における井伊家・大橋家別荘と大橋養鶏場

酒井宣子著
2004
「六浦文化研究 12号」(外部サイト) 71-83p
写真や別荘の間取り図があります。

金沢の往昔を語る 山中裕先生聞書

「六浦文化研究 7号」(外部サイト) 57-71p
1934年から称名寺付近に在住していた山中裕氏(やまなか・ゆたか元東京大学史料編纂所教授・1994年死去)から1997年に聞き取りをした記録。61-62pに大橋新太郎の別荘についての記述があります。

池野藤兵衛著
砂書房
1994
大橋新太郎と妻の須磨子が出会った、紅葉館の本。
157-158pと290-295pに金色夜叉のモデルに関する記述、214pに博文館10周年記念の記述があります。

石黒忠悳著
岩波書店
1983
森鴎外の上司、石黒軍医総監の回想録。大橋父子とも親しく、大橋図書館設立にも協力しました。
360-363pに大橋佐平についての記述があります。坪谷善四郎が編集。

山口昌男著
岩波書店
2005
上巻の357-413p、第7章「明治出版界の光と闇 博文館の興亡」で、大橋図書館や金色夜叉のモデルに関する記述があります。
1995年出版の単行本(外部サイト)は、221-251pに記述があります。

長谷川時雨著・杉本苑子編
岩波書店
1985
サイレン社本、長谷川時雨全集を底本に、18人が取り上げられています。大橋須磨子の記述は、上巻213-228p(写真あり)にあります。

「近代美人伝」(外部サイト) 大空社 1994年は、昭和11年サイレン社刊の複製で、20人が取り上げられています。
大橋須磨子の記述は、297-306p(写真あり)にあります。

巌谷大四著
新潮社
1974
巌谷小波の息子・大四が、小波の日記をもとに書いた評伝。
大橋新太郎との交流や金色夜叉のモデルなどについても詳細に書かれています。
巻末に巌谷小波の年譜があります。1993年出版の文春文庫(外部サイト)には写真がありません。

湯本豪一編
日外アソシエーツ
2000
104-105pに大橋佐平、106-108pに大橋新太郎の記述があります。
大橋新太郎は、明治35年の第7回衆議院議員選挙にトップ当選して、政界に進出しています。
選挙に関する「団団珍聞」などの風刺画があります。

大橋新太郎 1代目を超えた2代目

鹿島 茂著
雑誌「ファイ 142号」に掲載した「露伴・一葉が集まった博文館の八畳の応接間・大橋新太郎」を元に、大橋父子の業績やエピソードが書かれています。
「破天荒に生きる」PHP研究所 2002年 159-168p(外部サイト)
PHP研究所 2002年 159-168p
「明治の革新者 ロマン的魂と商業」(外部サイト) ベストセラーズ 2018年 291-301p

松井広吉著
大空社
1993
1929年博文館発行の復刻版。松井柏軒(1866-1937)は、長岡越佐毎日新聞と博文館で編集者として働き、その後博文館を離れ、新聞記者として多くの新聞で活躍しました。
大橋佐平・新太郎を直接知る、著者の回想録です。

博文館について

ゆまに書房
2014
博文館 昭和12年刊の復刻。博文館の出版目録があります。

西川祐子著
リブロポート
1992
樋口一葉の評伝。4章に、最晩年の23-24歳に大橋乙羽(大橋佐平の娘婿)と出会い、作品を博文館から出版した様子が記述されています。
大橋乙羽は、一葉の死後、全集を博文館で発行しています。

田山花袋著
岩波書店
1981
田山花袋の回想録。「H書店の応接間」で博文館の大橋乙羽とのやり取りが書かれています。

南部亘国著
日本古書通信社
1973
大正4年から昭和3年まで博文館の編集部に勤務していた著者の回想録。大正4年の博文館編集局の間取りなどもあります。

特集 博文館文化

彷書月刊 1999年1月号(外部サイト)2-29p
下記の11の記事が収録されています。
「総合雑誌太陽と博文館」鈴木貞美2-5p
「ダウントレス大橋!博文館出版革命解明のために」稲岡勝6-9p
「博文館の伝記、史伝について」目野由希10-11p
「日露戦争実記と写真報道ヴィジュアル化と1枚の写真」三谷憲正12-13p
「渡辺乙羽から大橋乙羽へ」坪内祐三14-15p
「高山樗牛と博文館」林正子16-17p
「浮田和民の登場「太陽」編集主幹の軌跡」大和田茂18-19p
「帝国文庫と発禁」浅岡邦雄20-21p
「大橋新太郎と国定教科書翻刻発行」梶山雅史22-23p
「出版流通システムを確立した博文館」小田光雄24-26p
「創業25周年記念祝賀会明治博文館の出版点数と招待人名簿」大久保久雄27-29p

浜崎広著
出版ニュース社
1998
第4章で大橋佐平と宮武外骨を比較しながら、博文館発行の雑誌の盛衰が書かれています。

小川菊松著
誠文堂新光社
1962
「博文館時代」(31-54)pでは、博文館の盛衰が記述されています。著者は誠文堂新光社の創業者です。

田村哲三著
法学書院
2007
「博文館五十年史」に記述のない、博文館の終焉について多く書かれています。

安藤貞之著
百年書房
2020
小説家から博文館の編集者へ転身した大橋乙羽は、文章だけでなく写真も撮影していました。早逝したため、これまであまり知られることがなかったその生涯が豊富な写真とともに書かれています。185pには幸田露伴の隣に座る大橋新太郎の写真があります。

大橋図書館について

坪谷善四郎著
博文館新社
2006
1942年に大橋図書館が出版した通史の復刻版。
大橋図書館役員の写真、図書館の平面図、大橋図書館で使用していた図書館用品の図版などがあります。
別冊に、大橋図書館開館100周年記念講演会の講演録と四十年史の索引、1942-1979年の年表等があります。

大橋佐平と大橋図書館

是枝英子著
2009
大倉山論集 55号(外部サイト)」 23-64p
大橋図書館の歴史を公共図書館からの目線で記述されています。

大橋図書館の閉館事情

森睦彦著
1992
東海大学紀要 課程資格教育センター 2号 (外部サイト)」 35-46p
大橋図書館閉館と三康図書館に引き継がれた経緯が詳細に書かれています。

横浜市中央図書館開館記念誌編集委員会編
横浜市中央図書館
1994
横浜の歴史が「出版」「読書文化」「外国文化」「図書館」に分けて書かれています。
704pに関東大震災後に大橋図書館などから図書の寄贈をうけたとの記述があります。別冊には,人物・目録などの資料もあります。

川上澄生著
ウェッジ
2008
78-80pに大橋図書館の思い出が書かれています。
著者の川上澄生(版画家・詩人)は小学生時代(1902年ごろ)に大橋図書館を利用していました。

大橋図書館の日々

小林典夫著
教育史料出版会
1988
「みんなの図書館 138号」(外部サイト) 58-70p
昭和4年から13年まで大橋図書館で働いていた著者の記録。大橋図書館職員の名簿もあります。

大橋図書館と芥川龍之介

高梨章著
日本古書通信社
2005
「日本古書通信 70巻2号」(外部サイト) 6-7p
芥川龍之介が「大導寺信の介半生」で子供の時に大橋図書館を利用したという記述を、大橋図書館の年齢制限と奨学閲覧券から書いています。

大橋図書館の焼失

坪谷善四郎著
1923
「図書館雑誌54号」(外部サイト) 149-152p
関東大震災とその後の火災による大橋図書館の被害などが書かれています。

参考 横浜市立図書館では所蔵していない資料です。

造園芸術

植周造園
1977
富岡にある植周造園の百周年記念誌。
初代の大胡周蔵氏は、伊藤博文・三条実美・大橋新太郎などの別荘の造園を行っています。
植周造園は現在も富岡にあり、大胡周一郎氏は、横浜マイスターに登録されています。
巻末に大橋新太郎別荘で牡丹の手入れをしている写真があります。
横浜市立大学で所蔵しています。

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