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歴史の散歩道 5-7

最終更新日 2018年7月13日

第五章 早駆けの道から永谷川に沿って

七 北条氏直館跡と物見塚

風土記マップ
拡大図(画像:49KB)

国道一号線の平戸口を永谷方面へ入って間もなく、左手に迫る舌状台地を本城山(地図6)という。北条氏直が館城を構えたといわれる所である。ここでは、台地の平坦地に土塁を巡らした掘割や空濠が遺構を留めている。また氏直の時代にこの付近で戦闘があったらしく、元和8年(1622年)戦死者の供養のため光照院名遍寺が建てられた。寺は寛永年間に修造され、更に享保17年(1732年)に後北条氏の家臣であった大津氏が再建している。この時の棟札には「北条氏直が旅の館(屋形)を建てて当地にて軍勢を駐屯した。」という意味のことが記されてある所から、ここは巡検時の頓地と考えられている。

この高台は戦時の守りに芹谷川(地図7)と平戸川が二重濠の役目を果たし、更に、西方の永谷川と広い湿田に囲まれて天然の要塞をなしていた。その証拠に、この付近に鎌倉時代の特徴をもつ五輪塔や宝篋印塔などの石塔類の残存があり、既にこの時代からここを砦として利用していたことが想像される。

鎌倉時代には湿地帯であった柏尾川流域は、戦国時代に入ると上杉謙信が永禄4年(1561年)に、また武田信玄が同12年(1569年)に武蔵・相模から侵攻して小田原へ向かった時、東海道に近いこの近辺を通ったが、東海道を一望に見渡せる本城山は、この時代には物見塚として重要拠点になっていた。下永谷バス停から本城山へ登る坂道を「大夫坂」(地図8)というのも、刑部大輔(夫)であった永谷の領主上杉乗国を偲ぶ名残かもしれない。この館跡とバス通りをはさんだ西側の下永谷6丁目6番の狭い石段を登ると地蔵院跡があって、そこに寛文10年(1670年)に建立された区内でも最も美しい石仏であったといわれた二十三夜塔があった。環状二号道路の工事により、今は戸塚区平戸町の光安寺に移っている。



「こうなん道ばたの風土記」(改訂版)は「港南の歴史研究会」の編集により、平成11年10月に発行されたものです。

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