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歴史の散歩道 5-3

最終更新日 2018年7月13日

第五章 早駆けの道から永谷川に沿って

三 日限地蔵尊と笹山城跡

風土記マップ
拡大図(画像:71KB)

永野小学校から西南へ1キロメートルばかりの所に高野山真言宗八木山福徳院(地図1)がある。この日限地蔵尊は、慶応2年(1866年)7月、在地の飯島勘次郎翁によって開創されたものである。翁は日頃から持病の癪に苦しんでいたが、ある時一人の旅僧に会い伊豆国三島の蓮馨寺の日限地蔵尊を信仰すれば、癪の苦痛は完治すると教えられたことから、同地に赴き、その分身を勧請し、昭和3年戸塚区との境で当時「横浜の高野山」と呼ばれた深山幽谷の吉岡山に堂を建て福徳院とし、翁は病苦から逃れることができたという。

この地蔵尊は山梨と長野に祭られている分身と共に「日本三躰地蔵」の一つと称され、高さ二尺四寸(約80センチメートル)の石仏である。毎月「4」の付く日が命日(縁日)で、この日に祈願すれば必ず成就するといわれている。

日限地蔵尊の東南に、二本の鉄塔が建っている丘がある。この付近一帯(地図2)が笹山城跡であり、日限地蔵の山との間に信号機の設けてある付近は城の「掘切」(地図3)と推定されている。この笹山城跡は、大船にあった玉縄城の支砦であったと伝えられるのみで資料に乏しい。ただ宅地造成以前は、鎌倉古道の「早駆けの道」に沿って、土塁が残っていたとも云われ、開発工事中に古井戸や柱穴跡が発見されたといわれているが、具体的な調査報告もない。しかし、周囲を圧する眺望に恵まれており、関城及び天神山双方から1000メートルぐらいの同距離にあるところから「伝えの城」(狼煙代)として重要な役割を果たしていたと考えられる



「こうなん道ばたの風土記」(改訂版)は「港南の歴史研究会」の編集により、平成11年10月に発行されたものです。

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