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歴史の散歩道 5-1

最終更新日 2019年1月28日

第五章 早駆けの道から永谷川に沿って

一 永谷天満宮

風土記マップ
拡大図(画像:71KB)

市営地下鉄線上永谷駅の西北に見える緑の深い丘を目指して、永谷川支流沿い(地図1)を行くと、平成3年に横浜市地域史跡に指定された永谷天満宮(地図2)がある。御本躰は、菅原道真自身の作という一寸八分の尊坐像で「日本三躰天満宮」の一柱という。「新編相模」によれば、第60代醍醐天皇の延喜2年(902年)菅原道真公が福岡県太宰府に流されたとき、自ら鏡に映じた姿を三躰彫刻し、その一躰を五男の菅原秀才敦茂に与えたものといわれ、その尊像は、その後菅原氏の長者から藤原道長へ、更には上杉金吾等に相伝されたという。

明応2年(1493年)2月、永谷に居城していた領主上杉刑部大輔藤原乗国が霊夢のお告げにより、この地に天満宮を造営しその尊像を安置したという。他の二躰は、菅原道真の墓所である福岡県太宰府の安楽寺と、菅原氏発生の地である大阪の土師村道明寺にまつられている。菅原秀才敦茂は、親子二代の学者といわれた程の人物であったが、父の失脚とともに配流の身となり、草深いこの地、相模国永谷郷の山奥に蟄居したと伝えられている。

敷き詰められた石の参道をすすみ石段を登りつめると、老杉がおい茂るなかに古びた本殿があり、拝殿の横には入試合格祈願の絵馬が数多く吊り下げられている。更に、裏山の一番高いところに管秀塚(地図3)があり、菅原秀才の遺髪を埋めたとも、また愛用の筆を埋めたとも伝えられている。管秀塚から落日を望むと遥か西の方にある故郷と父道真を偲びながら、この地にあった敦茂の心を察し、しばしの思いにふけることができる。



「こうなん道ばたの風土記」(改訂版)は「港南の歴史研究会」の編集により、平成11年10月に発行されたものです。

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