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歴史の散歩道 4-7

最終更新日 2018年7月13日

第四章 鎌倉下の道

七 塚の古址

風土記マップ
拡大図(画像:75KB)

浄念寺から南へ500メートル程行くと、三叉路(野庭町2480番地)に庚申塔(道標)(地図1)があり、右面に「左ぐミようじ道」左面に「右かまくら道」と彫られた文字を読むことができる。この辺りには、上野庭特有の田園風景があり、特に、梅雨どきに咲くアジサイは鮮やかである。更に、道を西にとり、そのまま進むと小山台中学校裏に出る、真昼でも暗い木立の道がある。この「早駆けの道」(地図2)の名残を歩けば、騎馬武者の幻影に出会うような気持ちになる事がある。

南に道をとり、蛇行する馬洗川(地図3)を足元にみて、山道を進むと急に視野が変わって新興住宅街に出る。この付近の高い丘の裾野に野庭三谷町公園がある。そばの草木が生い茂った中に、塚の古址(地図4)は人知れず立っている。元は、一段上の高台にあったのを、造成工事の折に移したのだという。碑の由来は、天正18年(1590年)7月小田原城陥落の際、旧姓吉本氏(臼居氏)は敵に降るを潔しとせず、野庭の里に隠栖し、朝夕この峰に登り遥か西の小田原を追慕したが、再興の志を果たせぬままにこの世を去った。遺言により柩を西に向けて埋葬したところがこの塚の古址であるという。ここの最高峰は96メートル程あり晴れた日には小田原の海が見えたといわれている。

また野庭三谷町公園を含むこの峰は、馬洗川の水源地であり、金井(現日野南)・野庭・小菅ヶ谷村の交点として、かつては武相国境の道と分かれた「早駆けの道」の出発点でもあった。また、環状三号線を越えると鍛冶ヶ谷公園(地図5)にたどり着く。ここは、その名の通り開発前は鍛冶ヶ谷村(栄区)に属していた。「日本城郭体系」は、この辺りから原第一公園を含む武相国境の台地に斉田左衛門の砦があったとしている。



「こうなん道ばたの風土記」(改訂版)は「港南の歴史研究会」の編集により、平成11年10月に発行されたものです。

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