このページの先頭です

歴史の散歩道 4-1

最終更新日 2018年7月13日

第四章 鎌倉下の道

一 鎌倉古道の餅井(もちい)坂

風土記マップ
拡大図(画像:68KB)

港南区最戸2丁目と南区別所3丁目の境に急坂がある。「新編武蔵」に「最戸村と別所村との境に古の鎌倉街道というあり、その頃一里塚に植えし松一株残れり」と記された餅井坂(地図1)である。

中世には、この5丁(約500メートル)程の急坂は難所としても有名であったらしく、文明18年(1486年)京都を旅立った道興準后(どうこうじゅこう)は「廻国雑記(かいこくざっき)」の中で、

行きつきて 見れどもみえず もちい坂 ただわらぐつに あしを喰わせて

(大意) やっとの思いで餅井坂に来て、餅が食べられるかと思って見回しても餅屋もなくて、坂の泥道に足を取られて難儀した)

という歌を詠んでいる。江戸時代に餅ならぬ甘酒を売っていたのは本当らしく、坂の上には甘酒台の地名がある。道興準后は、そのあとで「すりこばち坂」の歌を記しているが、鎌倉へはどのような道を通ったか確かなことは分かっていない。餅井坂の登り口には右面に「ミナミかまくら道最戸村」、左面に「とつかミちくミようし道」と彫られた百万遍念仏塔(地図2)があるが、これが「下の道」を示す道標である。

近年、南区別所側にマンションが多数建ったため、昔あった古道特有の落ち葉に彩られた景観が失われつつあるのも惜しまれる。また、鎌倉幕府の侍所の別当(長官)和田義盛が餅井坂付近で関所を設けたとの伝説があり、この坂の両脇一帯を今でも和田山(地図3)と呼んでいる。

この道をさらに進むと、南高校の手前、バス停「桜台」の近くで、芹が谷方面から来た「武相国境の道」と重なりあう。道を南に取ると、相武山小学校近くの「室の木」に至る。ここは武相国境と松本、吉原の村境に室の木(ねずみもち)が植えられていたことに由来するといわれている。永作にて、「下の道」は武相国境の道と分かれて西へ進む。



「こうなん道ばたの風土記」(改訂版)は「港南の歴史研究会」の編集により、平成11年10月に発行されたものです。

このページへのお問合せ

港南区総務部区政推進課

電話:045-847-8321

電話:045-847-8321

ファクス:045-846-2483

メールアドレス:kn-kusei@city.yokohama.jp

前のページに戻る

ページID:623-558-289

先頭に戻る