歴史の散歩道 3-8
最終更新日 2018年7月13日
第三章 日野川沿いの鎌倉古道
八 御園(みその)王の五輪塔
慰霊堂の外壁に沿って坂を降り切り、左手の路地に道をとると、最戸2丁目12番奥の個人宅の庭内左手に小さい祠が設けられ、見事な五輪の塔が建っている。塔の高さは105センチメートル、鎌倉石と思われる黄白色に近い、柔らかい砂岩質の石を刻んだものである。四面には梵字が刻まれている。水輪の直径は51センチメートルある。造立の年は不詳であるが、明らかに鎌倉時代の特徴を備えている。しかし、惜しむらくは最上部の空風輪が失われている。大正期に屋敷の土手を切り崩したときに、大きな榎の根元から掘り出されたものであるという。
横浜市内では最大級と思われるこの五輪の塔は「御園王の五輪塔」(地図5)と呼ばれているが、御園王なる人については不明である。まえに、この家に御園王とのつながりを表す系図があったらしいが、他家に貸しだまされたまま行方不明になったとのことである。いずれにせよ、この五輪塔の持っている重厚な風格からみて、この「御園王」は、相当な地位の人であったことが推測される。
この五輪塔は現在、ふた抱えもある見事なケヤキの大木の近くにあるが、この家には、これにまつわる伝説が残されている。「朝日さす 夕日輝く丘の上 黄金千枚 朱千杯」といわれていた。以前、密かに掘ってみると、人骨が出てきたので、ねんごろに供養し葬りなおしたとのことである。また、この家には、石仏としては珍しい、火伏せの神「秋葉大権現」がある。
「こうなん道ばたの風土記」(改訂版)は「港南の歴史研究会」の編集により、平成11年10月に発行されたものです。