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歴史の散歩道 3-4

最終更新日 2018年7月13日

第三章 日野川沿いの鎌倉古道

四 光明寺の聖観音(しょうかんのん)

風土記マップ
拡大図(画像:77KB)

「日野川沿いの古道」は「新橋」の信号付近で鎌倉街道をわたった。さらに、横浜・横須賀道路の下を通って行くと右手に御所ヶ谷橋(地図1)がある。この左手日野小学校(地図2)辺りの低地を「御所ヶ谷」といい、馬蹄形の山に囲まれ南東が開け、前に水掘り(日野川)を持った鎌倉時代特有の小さな屋形を連想される土地柄である。

ここを道なりに進むと、自然に光明寺(地図3)の門前に出る。永享2年(1430)高野山の僧慶秀が阿弥陀如来を奉じてこの地にいたり、密教の道場を開いたのがはじまりと伝えられている。昔から、檀家が少なく、そのため久しく荒廃していたが、大正9年、先住職田中建雄が入山してから大いに興隆した。建雄はまた、旧派の俳人でもあったので俳句月刊誌「港南の花」を主宰、港南俳壇社を経営するなど地域の文化活動に貢献した。また、近隣の昌福寺と満載寺を合併して今に至っている。「新編武蔵」には「光明寺、吉原村の境にあり、・・・本尊阿弥陀長二尺五寸の立像、寺宝不動画一軸 地蔵画一軸」とあり、ついで「正福寺・・・本尊正観音二尺五寸余行基の作と相伝う」と記している。現在、光明寺にある聖観音菩薩像は温雅な姿や豊満な顔などから、十世紀頃の平安時代の作とされ、南区の弘明寺、川崎市影向(ようごう)寺などと並ぶすぐれた仏像といわれている。

光明寺を出て、「光明寺下」の信号で野庭団地へ登るバス通りを横切ると大北道(地図4)となる。日野四丁目五番には庚申塔(青面(しょうめん)金剛塔)と諏訪園碑が立っている。



「こうなん道ばたの風土記」(改訂版)は「港南の歴史研究会」の編集により、平成11年10月に発行されたものです。

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