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歴史の散歩道 2-7

最終更新日 2018年7月13日

第二章 日野道から峰の道を尋ねて

七 春日神社

風土記マップ
拡大図(画像:91KB)

鎌倉街道をさらに200メートル程南に進み、日野川支流を渡ると、横浜市指定文化財に登録された春日神社(地図1)がある。また、社叢林(しゃそうりん)も指定天然記念物である。鳥居の傍らに延宝8年(1680年)建立の庚申塔がある。同行50人と盛大なのは、この年が庚申の年に当たるためであろうか。また、天保12年(1841年)建立の供養塔があるのは、天保の大飢饉の影響を物語っている。

急な石段を94段登っていくと、「彫刻の神社」と呼ばれるにふさわしい権現造りの社殿が鎮座している。春日神社の由来によると、承徳2年(1098年)武蔵野国守となった藤原成実は、紫冠帯剣(しかんたいけん)の神像を護持して武蔵に下ってきていた。翌、康和元年(1099年)京都仁和寺(にんなじ)の尋清僧都(じんせいそうず)が延命菩薩像を背負い、霊域を求めてこの地にやってきた。尋清は夜、光明を発する泉(錫丈水(しゃくじょうすい))を見つけた。この泉は旱(かん)天でも水は涸れず、これを飲むと万病に効きめがあった。尋清はここに居住して教えをひろめたので、国守藤原成実は先の神像を僧に授けたのであった。尋清は山の中腹に祠(ほこら)を建てた。これが、春日神社の前身で、尋清が別当として住んだ堂が徳恩寺(地図2)の前身、真如(しんにょ)坊である。

その後、正慶2年(1333年)鎌倉幕府滅亡の攻防戦にまきこまれて焼かれるなど、幾多の興亡があった。現在の社殿は安政2年(1855年)、時の領主久世(くぜ)大和守源広志の助けを得て、名主高梨林右衛門が発起人となって再建したものである。



「こうなん道ばたの風土記」(改訂版)は「港南の歴史研究会」の編集により、平成11年10月に発行されたものです。

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