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歴史の散歩道 2-5

最終更新日 2018年7月13日

第二章 日野道から峰の道を尋ねて

五 日野公園墓地

風土記マップ
拡大図(画像:97KB)

東福寺から西へ約200メートル進むと、笹下5丁目28番地の小高い場所に内田氏の墓地がある。その階段の手前に、雑色(ぞうしき)村の5名の名前を連記した元文5年(1740年)建立の庚申供養塔がある。

ここから新興住宅地を通って西方へ約6分歩くと、日野公園墓地(地図1、2)にぶつかる。この墓地は昭和8年に開園したが、墓地の持つくらいイメージはなく、文字どおり公園墓地である。それもそのはず、自然の地形を利用し、土地利用も墓地を30%にとどめ、他は公園・林・道路とするなど細かい配慮がなされているからである。中でも桜道側の入口から右方向に進む外周道路は、唱導寺下の六地蔵(地図3)まで通じており、ありし日の面影をよく残している静かな古道である。途中、野庭・港南台方面の眺望も開け、よいながめである。

墓地には南極探検で知られる白瀬中尉(新3区)、横浜の政財界に大きな役割を果たした中村房次郎(3区)、三無主義(無試験・無採点・無賞罰)を教育方針として横浜高等工業学校(現横浜国立大学工学部)の創立校長であり、「名教自然」の教育思想を貫いた煙州(えんしゅう)鈴木達治(3区)、「きけわだつみの声」に「最後の日記」を残している海軍中尉市島保男(2区)、ポンチ絵のワーグマンに師事し、近代洋画の草分けとなった五姓田(ごせだ)義松(1区)、横浜高校の校歌を作詞した歌人の尾山篤二郎(3区)など横浜にかかわりの深い多くの人々が眠っている。ほかに千葉周作の高弟であった児島清久の碑も建てられている。また、この公園墓地には、今は開発によって少なくなってしまった自然が残されており、春にはかれんに咲く何種類ものスミレ、秋にはススキの根に宿るおもい草(ナンバンギセル)、そして冬枯れの林を飛び交う野鳥など観るものが多い。



「こうなん道ばたの風土記」(改訂版)は「港南の歴史研究会」の編集により、平成11年10月に発行されたものです。

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