歴史の散歩道 2-4
最終更新日 2018年7月13日
第二章 日野道から峰の道を尋ねて
四 東福寺
杉本から南へ200メートル足らずで杉本山三月院東福寺に着く。「新編武蔵」に載せられている寺伝によると、天禄3年(972年)護妙法印という僧が比叡山から行基の造った薬師像を背負って、ここにやってきた。そして、天台宗の寺院を建て、妙法山1番寺と号したのである。その後、落雷のため堂宇は焼け落ちて、本尊の薬師像が雨露にさらされる程になったので、村人たちが小さなお堂を建てて安置し、密厳という僧が薬師堂をお守りするようになった。
密厳の弟子の海弁の代に、親鸞が東国へ布教のためにやって来た。海弁はその弟子になり、寺も浄土真宗に改めたのである。そして、親鸞がここに3か月逗留したので、これにちなんで院号を三月院にしたという。また、この寺の復興に力を尽くした北見掃部は杉本に居住したが、その住まいの地名と戒名の春光院東福寺元居士から杉本山東福寺と改められたといわれている。浄土真宗に改宗した時、本尊薬師像は笠松塚に薬師堂を建て、そこに安置したが、今は東福寺にある。
閑静な境内の隅に、寛文3年(1663年)と刻まれた区内では最も古い庚申塔(地図5)がある。この庚申塔は三猿だけが刻まれており、江戸時代前期の庚申塔の一つの特徴を持ったものである。山門を入ると右手に珍しい花塚(地図5)がある。「いのちある花摘み商う 人ら寄り 祈りも厚く花塚を建つ」と記されており横浜の「花どころ」といわれた港南の地に、生花の精に感謝して造ったものである。
「こうなん道ばたの風土記」(改訂版)は「港南の歴史研究会」の編集により、平成11年10月に発行されたものです。