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歴史の散歩道 2-3

最終更新日 2018年7月13日

第二章 日野道から峰の道を尋ねて

三 笹下の雑色(ぞうしき)杉本遺跡

風土記マップ
拡大図(画像:79KB)

金沢道を南に折れて、上笹下橋を渡り、日野道といわれる通りを道なりにしばらく進むと、鬱蒼(うっそう)と木立の繁る静かな登り坂がある。途中で環状二号線を横切り登り切った所の右手に経塚山(きょうづかやま)(地図1)があり、後で訪ねる東福寺の海弁の墓、享保2年(1717年)に建立された北見掃部(かもん)(1456年没)の供養塔(地図2)などがある。「新編武蔵」に「親鸞が東福寺に逗留した時、霊夢により仏舎利を得、更に聖徳太子十六歳の像を土の中から掘り出し、東福寺の海弁に与えたという。その後、応永10年(1403年)檀家であった北見掃部がこの経塚山に太子堂を建て、太子像を安置し、堂宇を東福寺に寄進したという。さらに天文2年(1533年)時の領主間宮豊前守信元もこれを厚く信仰し、ここを村の鎮守とした。」と記している。

経塚山を下り、すぐ右へ入る農道を進むと、笹下川の左岸、杉本の丘陵で台地となっている先に、「犬走り」と考えられる城砦の遺構がわずかに残っている。「新編武蔵」に「杉本というところに北見掃部の屋敷があったといわれているが、記録が無く詳らかでない。」と記している。この大地上の雑色杉本遺跡(地図3)は公園として整備されたが、縄文式土器片をはじめ、弥生式土器片、古墳期の土師器(はじき)片など多くの土器や石斧などが、表面採集されている。公園を造るとき、発掘調査をし、報告書も出され、太古の人々の生活を偲ぶことができる。

なお、この西方、笹下7丁目あたりに間瀬という地名があり、馬攻口(ませぐち)がなまったもので、笹下城の搦め手であったと伝えられている。



「こうなん道ばたの風土記」(改訂版)は「港南の歴史研究会」の編集により、平成11年10月に発行されたものです。

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