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歴史の散歩道 1-8

最終更新日 2018年7月13日

第一章 金沢道と森・杉田道周辺

八 笹下城跡と成就院

風土記マップ
拡大図(画像:80KB)

金沢道のバス停「日下小学校前」(地図1)から、西へ笹下川を曲田橋(まがたばし、地図2)で渡ると、成就院(地図3)へ向かう坂道がある。この付近は、戦国時代小田原北条氏の武将間宮豊前守康俊が、父祖の代から受継いた笹下城跡(地図4)である。ここの台地にはかつて「壇地」(地図5)と言われていたものがあり、域郭用の削平地(さくへいち)で「詰めの城」があった。

「新編武蔵」には松本村の項で「間宮豊前守陣屋・・・金沢道の傍、笹下にあり、平地にして今は陸田となれり、広さ八反(約八〇〇〇平方メートル)」とその居館を記している。そして、洋光台武内氏宅付近(地図6)に内屋敷、御下公園(おしもこうえん)近くに下屋敷があったと伝えられている。また、成就院脇から南へ上る空堀状の道があるが、その上の高台一帯が本丸の役割を果していたと考えられる。更に、笹下川や左右手川(そうでがわ)を外堀として房総の里見軍に備え、外郭の守りとして東に「杉田陣屋」屏風ヶ浦の「森陣屋」南に「氷取沢陣屋」北に出城としての「松本城」などを構え、西は遠く玉縄城へと通じていた。

また、「成就院」は山号は梅花山と呼び、宗派は浄土真宗、本尊は阿弥陀如来像、山門は前述間宮氏の陣屋を廃止した時、当院に移築した。この門前に詩人大野林火氏の「猛り鵙(もず)松籟(しょうらい)に今鎮(しず)まりぬ」の鎮魂の句碑が建っている。裏手墓地には元治元年(一八六四)鎌倉で英国士官を殺害し処刑された間宮一の墓があり、境内には横浜市指定名木古木の樹齢七〇〇年の「片身の槙(まき)」がその古さを物語っている。



「こうなん道ばたの風土記」(改訂版)は「港南の歴史研究会」の編集により、平成11年10月に発行されたものです。

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