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歴史の散歩道 1-6

最終更新日 2018年7月13日

第一章 金沢道と森・杉田道周辺

六 久良岐群役所跡と東樹院(とうじゅいん)

風土記マップ
拡大図(画像:88KB)

現港南区は、江戸時代には永谷川水系に属する相模国鎌倉郡と、大岡川水系の武蔵国久良岐郡に属していたが、明治に入り廃藩置県や大小区制及び郡区町村編制法施行により、永谷、野庭地区は神奈川県鎌倉郡に属し、上大岡、笹下、日野地区は現在の中区、南区、磯子区、金沢区および西区の一部と共に神奈川県久良岐郡に属するようになった。そして、久良岐郡役所(地図1)が現在は港南区である関村の東樹院(地図2)隣り、笹下二丁目二二番辺りに置かれた。

その後、地方管制の改正により、大正一五年郡役所は廃止されたが、明治から大正時代の日下村(くさかむら)は、久良岐郡役所が置かれたため登記所・郵便局・警察署・笹下学校・料亭・代書屋・宿屋等が並び、久良岐郡における行政上の中心地となった。徴兵制による徴兵検査を受ける人々、郡役所・登記所に来る人々により、商店も大いに賑わい、道端には常に人力車が列をなしていたという。この関の繁栄も、山を越えた磯子区域に横須賀街道ができたため、明治時代の国道四五号線である旧金沢街道は、大正三年(一九一四)村道となりすたれてしまった。

なお、東樹院(地図2)は「タヌキ寺」として名高い。伝承によれば、寛永年間(一六二四~四四)に、この寺に一夜の宿を借りた女の人が、お礼に二枚の画を描き、茶釜と共に寺へ寄進した。ある晩、松本の薬師堂の近くでタヌキが犬にかみ殺されていた。そばに、その女の人の着物が食いちぎられていたという。タヌキの残した二枚の画は焼失したが、寺宝としての茶釜のみが今もあるという。この話を伝えるタヌキと女の人の陶製の像がある。この陶像は上大岡で焼かれた「横浜焼」である。



「こうなん道ばたの風土記」(改訂版)は「港南の歴史研究会」の編集により、平成11年10月に発行されたものです。

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