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歴史の散歩道 1-2

最終更新日 2018年7月13日

第一章 金沢道と森・杉田道周辺

二 富士見道路と為朝伝説

風土記マップ
拡大図(画像:83KB)

森・杉田道の上大岡駅東口通りの上大岡東一丁目九番角から東へ曲がり、三〇メートルも上ると、道路左脇に「富士見道路顕彰碑」(地図4)が建っている。この碑文は「当地域は久良岐郡大岡川村字八郎ヶ谷と称した。そもそも地区の発展、繁栄は道路の整備にあるが、先代地主山野井豊翁の地域発展に尽くした遺業を継いで、現地主の諸氏は誠意と理解により膨大な道路敷地を市に無償提供し、生活道路としての『富士見道路』が敷かれ、住民は多人な恩恵に浴している。この功績を永く顕彰するものとして昭和四〇年に建てられた。」と記されている。

この道路のつきあたりの高層住宅を左へ曲がると、繁華街を真下に見おろせる崖の上に明治二四年建立の源為朝之桐(地図5)がある。上大岡駅東口一帯を字八郎ヶ谷と呼ぶのは保元の乱(一一五六)に敗れた鎮西八郎源為朝がこの地に隠れ住んだことからといわれている。流人となった為朝が伊豆大島で切腹したのは、治承元年(一一七七)三九歳であったという。この八郎ヶ谷にある為朝伝説の真偽はともかくとして、為朝の妻の墓という宝きょう印塔の笠石が上大岡東一丁目七番あたりの墓地内にあったと伝えられている。また、明治二年、近くの崖が崩れたとき、横穴が現れ、古銭の入った壷が出て、為朝のかくれ穴ではないかと騒がれたことや、上大岡駅東口の子育地蔵(地図3)も為朝の持仏に由来して建てられたと伝えられている。この道路の南側の方には、かつての名主山野井家(上大岡東)、北見家(上大岡東)に高札・板碑・その他が所蔵されている。(古文書は市へ寄贈)



「こうなん道ばたの風土記」(改訂版)は「港南の歴史研究会」の編集により、平成11年10月に発行されたものです。

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