No.268 広報よこはま港南区版 令和2年2月号5ページ 地域通信 私たちのまちの いまむかし 区制50周年特別企画 港南区の地場産業 第3回(最終回)生活に彩りを添える 内倉園芸 今月は、代々農業を営んでいる内倉園芸 内倉忠勇(ただお)さんにお話を聞きました。  江戸時代、のどかな農村地域であった港南区域の村の生活は、横浜開港とともに大きく変化しました。 農産物を出荷し、現金を得るという商品経済が浸透し、米麦雑穀中心の作付けから市街地が求める野菜や養蚕の生産に変化していきました。 横浜港を中心に新市街地が拡大するとともに、「洋花」の需要が高まり、花卉(かき)園芸が盛んになります。 港南の温暖な気候は、バラ、シャクヤク、チューリップ、水仙、キンセンカなどの花栽培に適しており、大岡、笹下、日野の辺りは一面花畑だったそうです。 温室栽培も行われて出荷先は東京にまで及び、昭和初期には、上大岡に港南生花市場も誕生しました。    内倉さんは農家に生まれ、小学生の頃から当たり前に仕事の手伝いをしていました。 元々は水田と野菜農家で、自転車に野菜を積んだリヤカーを付け、横浜刑務所の官舎へ売りに行くのは、重くて大変苦労したそうです。  3代目として家業を継ぐことになり、時代の流れとともに扱う作物を変えてきました。 昭和30年代までは野菜や稲が中心でしたが、その後、花卉園芸へ。 当初はカーネーションの切り花やシクラメンの鉢物を取り扱っていましたが、一戸建て住宅が増えてきた昭和50年頃には花壇に植える草花が主力になります。 栽培方法も野地栽培からビニールハウス、ガラス温室栽培と移行し、機械化により生産量も大幅に増やしてきました。 今の季節はパンジーやガザニア、これからはマリーゴールド、ペチュニア、ベゴニア、サルビアなど1年を通して多品種を栽培しています。 昨年は港南区制50周年イベント「秋のひまわりスタンプラリー」のチェックポイントとして、初めてひまわりに挑戦し「上手にできたので良かったです」。  生まれも育ちも港南区という内倉さん。ほかの職業は考えたことがなく農業一筋でやってきました。 花の栽培で大変なのはまず用土作り。薬剤散布も人体に害が少ないものしか使えない上、虫に耐性ができて同じ薬剤が翌年には効かなくなることもあるそうです。 そんな苦労を忘れさせてくれるのは、見事に咲いた花たち。「精魂込めて育てた花が品評会で賞をもらえると、とても励みになるね」と笑顔がこぼれます。