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シドモア桜とハナミズキ

最終更新日 2019年3月26日

世界的な桜の名所とされるワシントン「ポトマック河畔」の桜が、明治時代に日本から贈られたものであることは有名ですが、その実現には1人のアメリカ人女性の存在がありました。

シドモア桜をご存知ですか?

「世界的な桜の名所」と聞いて、ワシントンの桜並木を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
明治時代、ワシントン・ポトマック河畔へ日本から3000本の桜が贈られ、「日米友好の桜」として大変喜ばれました。その実現に尽力したアメリカ人女性が、エリザ・シドモアです。
ポトマック河畔の桜が1991年に日本へ里帰りを果たし、彼女が眠る横浜山手外国人墓地に植樹され「シドモア桜」と呼ばれています。
今から100年以上前に、日本からワシントンへ渡った桜。その歴史的なDNAを受け継いでいるのが「シドモア桜」なのです。

シドモア桜の植樹式・講演会の様子・・・そして、ハナミズキ

シドモア桜から接ぎ木をして作った苗木を、ポトマックの植樹式から105周年を迎える日に、よこはまフェアの記念として大倉山公園に植樹し、講演会を開催しました。
日時:平成29年3月27日(月曜日) 13時から
場所:大倉山公園(大倉山記念館前)
<当日の様子>
小雨の降る寒い日でしたが、地元の方々をはじめ、第26代日本さくらの女王増田愛子様、シドモア桜の会会長の恩地様など多くの方々にご参加いただき、シドモア桜の植樹式を行いました。大倉山地区の子どもたちも、合唱や植樹の後の水やりに参加してくれました。

植樹の後には、講演会を行いました。
・シドモア桜の会会長 恩地様「エリザ・シドモア女史について」
・樹木医 池本様「シドモア桜の接ぎ木について」
・大倉精神文化研究所部長 平井様「港北区と桜とハナミズキの関係等について」

シドモア桜の苗木は、大倉山記念館の正面左手に植樹されており、すくすくと育っています。記念館にお越しの際には、ぜひご覧ください。
ところで、日本から贈られた桜の返礼として、1915年にアメリカから「ハナミズキ」60本が贈られました。
その原木が、日本国内に1本だけ残っています。その木は都立園芸高校内にあり、すでに樹齢100年を超えています。
「ハナミズキ」といえば…そう!「港北区の木」ですね!!
平成29年2月、都立園芸高校の方々のご協力のもと、貴重なハナミズキの枝と接ぎ木苗をいただき、樹木医の池本先生によって大切に育てられています。
港北区からはシドモア桜の苗木をお渡ししました。
「桜」と「ハナミズキ」が取り持つご縁。今後が楽しみですね。

シドモア桜の由来

エリザ・R・シドモア(1856年~1928年)Eliza Ruhamah Scidmore
地理学者・文学博士・ジャーナリスト・写真家
シドモア桜の語源となった女性です。
アメリカで生まれたシドモアが、最初に日本を訪れたのは1884年とされています。
日本を巡る中で桜の美しさに魅了された彼女は、自身の著書の中でも上野や向島の桜について紹介しています。
1909年 アメリカ
当時のポトマック河畔は造園計画中であり、この計画には大統領夫人が関わっていました。
「いつかワシントンに桜を」と長年の夢を抱いていたシドモア氏は、大統領夫人へこの地に日本からの桜を移植することを提案します。
この提案がきっかけとなり、1912年に日本(東京市)から3000本の苗木が贈られました。(1909年にも一度苗木が贈られていましたが、この時は病虫害が発見され、全てが焼却される悲劇に見舞われました)
同年3月27日にポトマック河畔にて植樹式が行われました。シドモアの夢が実現した日でした。
このようにワシントンへの桜の植樹に尽力したシドモアでしたが、1925年にアメリカを去り、1928年移住先のスイスにて永眠しました。
翌年、その死を惜しむ日本政府の配慮で、シドモアの遺骨は彼女の母と兄が眠る横浜山手外国人墓地に眠ることとなります。
1991年 日本
ワシントンから里帰りした桜が、シドモアの墓前に植えられました。
この里帰りをした桜は「シドモア桜」と名付けられ、今も春になると美しい花を咲かせています。
エリザ・R・シドモア、彼女の存在が無ければワシントンで桜並木を楽しむことはできなかったかもしれません。

※広報よこはま港北区版2月号に、コラム記事を掲載しました。

広報よこはま記事

シドモア関連情報

・日本人でシドモアと同年代を生きた人に、有線七宝の頂点を極めた七宝家、並河靖之(1845年~1927年)がいます。東京都庭園美術館にて開催の回顧展「並河靖之七宝展」(平成29年1月14日~4月9日)には、明治時代に並河邸を訪れた人々が署名した『芳名帳』が展示されており、そこにシドモアの名が記されているのを見ることが出来ます。彼女の著書『JINRIKISHA DAYS IN JAPAN』※には、その時の情景が生き生きと描かれています。主人が客人を茶の湯でもてなす様子や素晴らしい作品の数々、職人たちの作業風景、そして氏の哲学までも…。シドモアを通して、改めて日本文化の素晴らしさに気づくことができます。
※『シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー』(エリザ・R・シドモア著 外崎克久訳 講談社学術文庫)
・シドモアは、1890年から13年間、アメリカの自然専門誌『ナショナルジオグラフィック』に所属し、世界を旅しながら記事を寄稿していました。1896年6月15日に三陸地方を襲った津波を伝えた記事を書き、「TSUNAMI(津波)」という言葉を初めて海外に伝えたのもシドモアでした。
※(参考文献)『エライザの形見 桜とツナミ 100年の時を超え』 2011年4月11日付 朝日新聞 立野純二氏

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