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神奈川区の歴史

最終更新日 2019年3月13日

「神奈川の歴史・主要事業」・・・神奈川区内の歴史年表です
「神奈川宿歴史の道」・・・歴史の要所を巡ることができる散歩道です

かながわ 地名の由来

「かながわ」の名の由来は・・・?

いくつかの説があり、本当のところはわかりませんが...。
その昔、区内を流れていた小さな流れを「上無川(かみなしがわ)」といっていました。
それは、いつも水が涸れてほんの少ししか流れていない。水源地もどこかわからないので、「上(かみ)がない川」と呼ばれていました。それがいつしか「み」「し」の二字を略して「かな川」をいうようになったという話です。
また、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方へ赴く際、今の神奈川の海辺柚ヶ浦に船出の用意をしました。そこが「上無川(かみなしがわ)」なのでした。その時、倭姫(やまとひめ)にいただいた宝剣が金色燦然としてこの川水に映ったので、この地を金川(かながわ)と名付けました。その後時が移り、源頼朝がこの金川(かながわ)の風光を賞し、「<金>は西の方角をつかさどるというが、西方は上(かみ)にあたるし,皇城(こうじょう=都、天子のすむところ)にもあたる。これは神を大いに示す地である。」として<大いに示す>を「奈」の字にして、金川→神大示川→神奈川とすべきだといったので、その時から金川を神奈川としたという話です。
ほかにも、古文書の中に「神奈河」「狩野川」「かの川」「かな川」と記されているものがあります。

 〔参考 出典:神奈川区誌ほか〕

浦島太郎伝説

浦島太郎は神奈川にいた!?

相模の国三浦の里に、水江の浦島太夫という人が住んでいました。太夫は仕事のため、久しく丹後の国へ赴いていました。その子の太郎が一日海に出て帰る際、浜辺で子供らにいじめられていた亀を助けました。太郎は助けた亀に連れられて「竜宮城」へ行き、乙姫様のもてなしを受けました。月日の経つのも夢のうちで、いつしか3年の歳月が流れました。
父母恋しさに暇を告げたところ、乙姫様は別れを惜しんで、玉手箱と聖観世音菩薩を太郎に与えました。故郷の土を踏んだ太郎には、見るもの聞くものすべて見知らぬものばかりでした。ついにこの玉手箱を開きますと、中から白い煙が出てきて白髪の老人になりました。3年と思ったのが実は300年、すでに父母はこの世の人ではなく、武蔵の国白幡の峰に葬られてあると聞いて尋ねてみると、二つの墓石が淋しそうに並んでおりました。
太郎は墓の傍らに庵を結んで菩薩像を安置し、父母の菩提を弔いましたが、この庵がのちの観福寿寺で、通称「うらしまでら」と呼ばれました。観福寿寺は明治5年に廃寺になり、現在は慶運寺に聖観世音菩薩像が安置されています。
なお、浦島丘の蓮法寺には浦島太夫・太郎父子の供養塔や亀塚の碑があります。
また、七島と大口通との境を流れていた川は浦島太郎が足を洗った川だということで、大口通に足洗川の碑があり、子安通一丁目には太郎が足を洗ったという井戸があります。

〔参考 出典:神奈川区歴史あらかると〕

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