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招魂社と名士の碑

最終更新日 2019年2月28日

泉区の中心として開発が進む和泉地区

6.招魂社(しょうこんしゃ)と名士の碑

忠魂碑の画像
忠魂碑

旧泉消防署隣の中和田公園は、かつて招魂社と呼ばれ、忠魂碑、石井広助之碑、山田先生頌徳之碑、持田初治郎君頌徳之碑、山田先生顕彰碑がたち並び、松や桜の大木が繁る緑の広場は、付近住民の憩いの場となっている。

この土地は、明治三十八年(一九〇五)持田初治郎が日露戦役記念林として中和田村に寄付したものである。

『忠魂碑』は、日露戦争で有名な陸軍大将乃木希典の筆によるもので明治四十二年に建てられた。終戦後取り壊されたが、昭和二十九年十一月に中和田忠魂碑再建会により再建された。再建された碑の正面の題字は、元中和田小学校長山田豊次郎の筆である。その後連合町内会主催で招魂祭が行われていた。

合祀されているのは、西南の役、日清、日露戦争、日中戦争から太平洋戦争までの二百三十四柱である。

『石井広助之碑』は、明治三十八年十一月に建てられたもので題額は陸軍大将乃木希典の書である。石井広助陸軍少尉は、上飯田町柳明に生まれた人で、父仁左衛門は神奈川県会議長をつとめた人である。( 石井仁左衛門と青年教育 参照


石井広助碑の画像
石井広助碑

石井広助は、明治三十七年乃木大将の第三軍小隊長として旅順攻撃に参加し、九月海鼠山を占領した。さらに赤防山の攻撃の先頭に立って指揮したが、敵弾に倒れ、享年二十八才で戦死した。後に中尉に昇進し勲六等功五級に叙せられた。

明治三十八年三月七日、中和田村は村葬を行い、会葬者は三千余人にも及び、弔辞は八十余通が寄せられた。

『山田専成頌徳碑』の題字は、海軍大将伯爵樺山資紀が書き『山田豊次郎顕彰碑』の題字は当時の神奈川県知事内山岩太郎が書いている。

『持田初治郎君頌徳之碑』は、大正六年(一九一七)十一月に建てられたもので、題額は大正十三年に総理大臣になった清浦圭吾の書である。


持田初治郎は、先進的な創業者、父角左衛門の志を継いで、蚕種の改良を図り全国に普及させ、事業の拡張にも努めたので「相模国の産額諸州に冠たり」と刻まれている。初治郎が共進会、博覧会に出品した生糸は優秀で、県内はもちろん、他府県からも金杯、銀杯、銅杯、賞状等が数十贈られている。また、伊太利国(いたりあ)万国博覧会では金賞が授与されている。

社会に尽くした名誉職、寄付行為も数多く、県知事より、褒状、木杯、賞状が授与されている。

一例を挙げれば、日清戦争従軍者の遺族扶助のための寄付、渋谷小学校(大和市)に対する建築費や基本財産(貯蓄債権)の寄付、中和田小学校基本金、藤沢町立小学校基本金、村内県道の修築、修繕費、県内の津波被害への見舞金、山梨水害救助費など数多くある。

また、明治三十八年には、中和田村基本財産並びに日露戦役記念林として、畑地四反(たん)一畝(せ)余(四千平米余)と、国庫債券の寄付があり、それに対し当時の賞勲局より銀杯が贈られている。このような功績により、三府十三県の有志一千五百余の個人、団体の寄付金によって頌徳碑が建てられた。建碑場所は、招魂社の近くであったが、昭和五十八年に現在地に移された。
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平成8年11月3日発行
泉区制十周年記念出版
いずみ いまむかし
-泉区小史- より



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