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第六天神社と酒湧池伝説

最終更新日 2019年3月4日

泉区の中心として開発が進む和泉地区

16.第六天(だいろくてん)神社と酒湧池(さかわくのいけ)伝説

酒湧池伝説の芝居(第六天神社祭礼)の画像
酒湧池伝説の芝居(第六天神社祭礼)

神奈川中央交通の四谷バス停を南に入るとすぐ左側の高台に第六天神社がある。この一帯、通称下和泉上分の鎮守さまである。

鳥居前の水田が開発される前は、和泉川沿いから眺めると、白い御影石の鳥居が背景の緑の森に映えて、古鎌倉道のたたずまいとともに美しかった。

祭神は社名の示すように天神第六代の「面足能命(おもたるのみこと)、惶根能命(かしこねのみこと)」の二柱である。

いつごろお祀りされたのかはわからないが、古い歴史を持つ神社であるとの伝承がある。


第六天神社鳥居前の画像
第六天神社鳥居前

この神社の東側に酒湧地または弁天地と呼ばれる泉があり、島の中に小祠が祀られている。この泉には孝子伝説(県教育委員会監修「神奈川県昔話集」掲載)が伝わっている。また近くに「御畝(おんね)」、「隠忍坊(いんにんぼう)」または「隠念坊(いんねんぼう)」等という、山岳信仰に関係があると思われる地名が残っていることなど、今後の調査研究によって、神社の歴史を知ることができるかもしれない。

延宝年間(一六七三~一六八〇)に領主の松平五郎兵衛甫昌が当社を崇敬し、たびたびお参りしたという伝承がある。

また明治以前は氏子ばかりでなく、近郷の人々のお参りも絶えなかったそうである。

文政十三年(一八三〇)二月二十五日に社殿を再興した棟札(むなふだ)、または関東大震災で倒壊した社殿を大正十四年(一九二五)五月一日に、当時の氏子五十五名で新築再興した棟札が残されている。

第六天という社名の神社は余り聞き慣れない。神奈川県下で、法人格を持った第六天神社は僅か五社で、その内の一社がこの神社である。なお三家の日枝神社には境内社として第六天神社が祀られている。

泉区歴史の会の藤縄勝祐氏の研究によると、新編相模風土記稿に記載された第六天神社は一七五社、新編武蔵風土記稿記載が三四〇社と大変な数である。

風土記稿のできた江戸末期の天保の頃に、たくさんの人たちに信仰され祀られていた第六天神社が、なぜ明治以降数を減らしてしまったのか。

藤縄氏が新編相模風土記稿や神奈川県神社誌などで調べた結果、社名の変更が十一社、合併や他社に合祀が十七社、境内社としたのが二十一社もあるという。

この神社には中心社的ないわゆる総本社がない。また特定の為政者から、一時期でも庇護(ひご)を受けた格式の高い社(やしろ)もない。第六天神社は民衆の厚い信仰から生まれ、純粋に民衆が深く崇敬した社で、勧請(かんじょう)には山岳信仰の修験者が関わったと思われる。

相模国内に一七五社もあった第六天信仰も、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の影響を受けて滅びてしまった庶民信仰の一つであろう。

第六天神社の酒湧池伝説について、『神奈川県昔話集』に収録されている「子は清水」と題した孝子伝説を紹介すると、

「戸塚区(現在は泉区)和泉町に酒湧池と呼ばれる池がある。昔、他の近くに孝子がいて、池の水を樽に汲み取って父に飲ませていた。ある日、里人が樽をさげてきた孝子にあった。どこから酒を買って来たのかと尋ねると孝子は、この山奥の池の水が、うまい酒であるので、汲み取って父に飲ませているという。里人は大いに喜んで、大樽に汲み取って金もうけをしてやろうとしたところ、その酒はたちまち、ただの水になってしまった。
里人が孝子に会ったという橋を、今でも樽見橋とよんでいる。」
採集、昭和十五年、大島 昇

この昔話は好事家により詩にも詠まれ、曲までついている。

樽 見 橋

鳥来展也 作詞
一瀬公弘 作曲

一、坂はてるてる 鈴鹿はくもる
シャンシャン馬子歌 孝行むすこ
わずかな駄賃(だちん)で 病の父と
貧しいくらしを していたと

二、お父よ今日は この雨降りで
稼ぎもなくて 少ない駄賃
好きな酒さも ほれこのように
たった一合 かんべんじや

三、少くねえどころか この一合は
わしにや一升 二升にのめらぁ
せがれよすまねえ 茶わんを口に
ふがいない身を 泣くばかり

四、朝星見あげて 山坂越えて
働きながらも 稼ぎにならず
しおれてとぼとぼ 谷間にかかりゃ
酒のにおいが 呼んでいる

五、酒のにおいに 誘われながら
草木を踏み分け はいって行く
池にあふれる こはくの水を
なめておどろく こりゃ酒じゃ

六、孝行むすこの 汲む水だけが
酒に変わって 大きな樽を
かついで帰りに 村人だちと
出会った橋だと 樽見橋
今も残って いるそうな

■下和泉住宅の神明さま
第六天神社の近くに下和泉住宅と呼ばれる住宅地があるが、この中に「下和泉神明神社」と名付けられた新しいお宮がある。下和泉住宅の鎮守さまというのか、毎年十月には、住人たちが手作りのお祭りを賑やかに催しており、このことは新聞にも数回紹介されている。
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平成8年11月3日発行
泉区制十周年記念出版
いずみ いまむかし
-泉区小史- より



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