和泉廻化地蔵と岩舟地蔵尊
最終更新日 2019年3月4日
泉区の中心として開発が進む和泉地区
15.和泉廻化地蔵(かいかじぞう)と岩舟地蔵尊(いわふねじぞうそん)
宝心寺に、和泉廻化地蔵と呼ばれる「安産子育諸願成就」の木像で金塗りの地蔵尊がある。
宝心寺の廻化地蔵尊と岩舟地蔵尊
昔、この地蔵尊は三家から下和泉までの和泉町全城の各戸を、休むことなく一晩泊まりを原則に廻されて安産や子どもの健康を願いお参りされていた。
赤ん坊を抱いて蓮華台に座ったお地蔵さんは、漆塗りのお厨子に安置され、幅約七十cm、高さ約九十cm、の背負式のお堂に納められ、後部の背負いひもで背負って隣家に廻した。春と秋のお彼岸には廻って当たった家を宿として、和泉全域の地区世話人がお賽銭を集め、ご詠歌連も加わって賑やかに供養したものであった。お堂の横にはよだれ掛けやぼうしなどが作って下げられ、また「奉納南無廻化地蔵尊・住所・子供の名」が書かれた赤や白の一m程の幟旗(のぼりばた)が宿の道案内に各所に立てられた。
供養当日配られるお札
地域住民の増加と共に次第に廻すことが困難になったので、昭和四十六年秋に取り止めになった。翌年春、宝心寺の住職の計らいもあり、四百数十戸の寄付により、境内の岩舟地蔵尊のお堂を建て替えてそこに並べて安置することになった。また、供養当日配られるお札を印刷した版木の裏には、「明治三庚午年四月日、十六世長福寺文道拜写」とあり、明治三年に版木を作り替えていることからも、この信仰が江戸時代から続いていたことがわかる。
春秋の彼岸に供養していた和泉廻化地蔵尊も、昭和四十七年にお堂に安置されてからは、岩舟地蔵尊と共に宝心寺の住職を中心に、春の彼岸に賑やかに供養されている。
岩舟地蔵尊(舟乗り地蔵尊)は、長さ一mの石造りの舟の上に起立している。今から二百数十年前の享保年間に下野国岩舟山高勝寺より伝えられたと思われるもので、台座の石の舟には「享保四巳亥年十月二十四日 岩舟山相州和泉村念佛供養」と彫られている。また、この地蔵尊は、こぶやいぼ取りの信仰もあって、額などにこすってくぼんだ跡が見られる。
中田寺の岩舟地蔵尊
なお、このお地蔵さんは別名「子宝地蔵尊」とも呼ばれ、平成四年に横浜市指定文化財に指定された。
区内では、他に、中田町中田寺本堂内にも、岩舟地蔵菩薩または岩舟地蔵尊と呼ばれる像高六十cm余りの彩色された仏像がある。
この地蔵尊は、中田寺六世の代に奉納されたものであり、享保四年十二月二十七日と記録されている。ご本尊の体内に収められている諸記録は、この地蔵尊の由緒、沿革等を記した貴重な古文書である。
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平成8年11月3日発行
泉区制十周年記念出版
いずみ いまむかし
-泉区小史- より
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