須賀神社と天王まつり
最終更新日 2019年3月4日
泉区の中心として開発が進む和泉地区
10.須賀(すが)神社と天王(てんのう)まつり
お化家と底抜け屋台
長福寺山門横に、建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)と櫛名田比売之命(くしなだひめのみこと)が祀られた須賀神社がある。祭神建速須佐之男命を牛頭天王(ごずてんのう)とし、昔は天王社と称していたが、明治になって須賀神社と改めた。
勧請年代は不明であるが、信濃国の住人泉小次郎親衡がこの地に館を築いた建暦二年(一二一二)に、その鎮守神として祀ったのが当社の始めと伝えられている。
境内には、日露戦争に出征して凱旋した人たち十二名が、明治三十九年(一九〇六)十二月に記念として奉納した一対の灯籠がある。
須賀神社は昔から「和泉の天王さま」といわれて信仰され親しまれている。また、お祭りの神輿(みこし)の「おわたり」は昔から近郷に知られ、今でも大変賑やかである。
天王まつり
泉区には、法人格をもった神社が二十社あるが、夏祭りは少なく、毎年七月二十二日の天王祭りは近郷の人たちが楽しみに待っている行事の一つである。
農家にとって七月は、水稲、陸稲(おかぼ)、さつまいもなど夏作物の手入れの大切な時期である。このお祭りまでに一通りの手入れを終わらせないと収穫に大変な影響が出るので、暑い時期であるが昼休みも惜しんで働き、祭りを迎えたそうである。
このお祭りは八日間にわたるお祭りで、七月十五日、神社に氏子が集まり、組立式のお仮家(かりや)を建てて神輿を納める。その夜の「御霊遷(みたまうつ)しの儀」、中の日、余興を奉納する二十一日の宵宮(よみや)、例大祭と四回も神官がみえる他に例がない盛大なお祭りである。二十二日に神輿のおわたりが行われる(近年は七月二十二日の至近の日曜日)までの八日間、若衆は太鼓を叩き、氏子はお参りをする。
天王さまのみこしは、昔、あばれ神輿で有名であったので破損も激しく、昭和二十五年氏子の寄附により、重さ七五〇kg(二百貫)という立派な神輿を新調した。
囃子連は、三台の底抜け屋台の中で歩きながら、途切れることなく叩き続けるので、屋台の担ぎ手は大変である。神酒所では札撒きをするので「寄せ太鼓・札撒き」という叩き方をし、水田の中の道(おうな)ではたんぽに落ちないように「二編返し」という静かな叩き方をする。
昔は、和泉中村、台谷戸、並木谷戸と、主水分、宮下、中和泉が氏子で、全域を担いでおわたり(渡御)したものであるが、近年は九町内会・自治会(和泉中村、和泉台谷戸、並木谷戸、西部、和泉町団地、中和泉、和泉東町、和泉栄町、和泉町わかば会)を廻るので地域も広大となり、また、交通事情により大部分は自動車に乗せて廻るようになった。和泉台谷戸の神酒所からは担ぎ棒を取付け、屋台も自動車から降ろして、中和田小学校前の長後街道を通り、いずみ中央駅前を廻り本社へ宮人をしている。この間は、須賀神社の神輿保存会の百数十名の男女が揃いの半てんを着てのおわたりとなっている。
天王まつりは、氏子町内の「子どもみこし」と、三馗連という神輿同好会の大きな「万燈神輿」も続く盛大なお祭りである。
のページ
次のページ
平成8年11月3日発行
泉区制十周年記念出版
いずみ いまむかし
-泉区小史- より
※下記問合せ先では由来・歴史などの詳細については回答できかねますので、ご了承ください。