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日枝神社と北部分教場

最終更新日 2019年3月4日

泉区の中心として開発が進む和泉地区

1.日枝(ひえ)神社と北部分教場(ぶんきょうじょう)

日枝神社社殿の画像
日枝神社社殿

松陽高校の西方に日枝神社があり、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉諾再尊(いざなみのみこと)、大山咋命が祀られている。

大永六年(一五二六)後奈良天皇即位の年に、住民の代表が上京しての帰途、近江国一宮の日吉大社の神霊を当地に分祠したのが初めといわれている。

享保十一年(一七二六)、天明三年(一七八三)、享和二年(一八〇二)にそれぞれ氏子の寄進によって社殿を修復した。現在の社殿は関東大震災によって倒壊したものを、大正十五年(一九二六)に新築したものである。

日枝神社には昔から湯花神事(ゆばなしんじ)が伝わっており、四月十三日の春祭りの時に境内社である第六天神社、御獄(みたけ)神社と白神社(しらがみしゃ)の前で行われている。


教室として使われた神楽殿の画像
教室として使われた神楽殿

かつて、日枝神社の神楽殿が中和田小学校北部分教場(現飯田北小学校)の仮教室や分散授業の教室として使われたことがあった。

昭和十八年一月二十六日の早朝のことである。北部分教場が原因不明の火災を起し、下駄箱一つを出しただけで全焼してしまった。しばらく休校したが、児童は、本校の中和田小学校に通学することになった。しかし一、二年生が、約四kmの道を通学することは大変なことであった。

当時は太平洋戦争の真っ最中であり、校舎の再建は非常に困難な時代であり、北部分教場については廃止が検討されたそうである。それを聞いた学区の五町会(三家、柳明、中屋敷、台村、中村)は会合を重ね、市役所へ存続を強く要望したが校舎再建はならなかった。そのため、各町内会長が先頭に立って協議し、三家の日枝神社の神楽殿を地元負担で改造し、仮教室とすることを提案した。市では、地元の熱意を汲んで分教場の存続を認めたそうである。

何分にも物資のない時代である。改造する材料の調達には有志の人達の並々ならぬ努力があった。できあがった日枝神社の仮教室では、三家、柳明、中屋敷の一、二年生四十人位が複式学級で一緒に勉強した。

太平洋戦争も末期になると、空襲警報が度々出たので神社やお寺などで分散授業が行われ、この教室はその一つにもなった。昭和二十一年の一学期までこの仮教室が使用されたそうである。中和田小学校北部分教場は、戦後元の地に再建された。
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平成8年11月3日発行
泉区制十周年記念出版
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-泉区小史- より



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