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小山三郎兵衛と寺子屋

最終更新日 2019年3月4日

早くから住宅地として開けた中田地区

7.小山三郎兵衛と寺子屋

中田寺本堂
小山三郎兵衛の筆子塚

明治五年(一八七二)に学制が頒布され、近代学校としての小学校が設立される前には、庶民の師弟が学ぶ寺子屋があった。

江戸時代の中頃になると、庶民の家庭では、子どもを寺子屋に通わせるようになった。寺子屋は、下級武士や浪人、僧侶、神官、農民などの、幾らかの学力を身につけた人々が、日々の生活や生産活動を営む上で必要な初歩的教養である「読み・書き・そろばん」を子どもたちに授けるために、任意に開いた教育施設であった。

明治十六年の文部省の調査によると、旧戸塚区(戸塚、栄、泉、瀬谷)内には、矢部町の小倉重助、戸塚町の馬場士恭の二人が開いた二つを数えるだけである。


法隆上人頌徳碑
寺子屋の教科書

調査したときすでに不明であったか、調査漏れの何れかと思われる。

江戸時代から明治の初期にかけて、寺子屋師匠の学恩に報い死後の菩提を弔うために、筆子(教え子)たちが造立したものを「筆子塚」と呼んでいる。

泉区内にも筆子塚があるところから、各村々に寺子屋があったと考えられる。下段表にあげる筆子塚は泉区内の子どもたちが通った寺子屋師匠のものである。

なお、矢沢保光以外の年号は、筆子塚を造立した年か、師匠の死去した年の何れかである。

『神奈川県教育史、通史編上巻』によると、県内の寺子屋の開業年代の最も古いものは、延宝七年(一六七九)頃に、阿久和町(現新橋町)で小林清兵衛が開いた寺子屋とされ、次いで来迎寺(矢部町)にある享保三年(一七一八)造立の「的弁和尚」、長福寺(舞岡町)享保六年造立の「祐円和尚」の筆子塚をあげている。

しかし、この地域の筆子塚の調査によって、中田の小山三郎兵衛の開いた寺子屋が、県内で最も古いとされていた小林清兵衛の寺子屋よりも、およそ五十年も前に開かれていたことがわかり、区内でも古くから村の子どもたちが寺子屋で学んでいたことを知ることができる。

泉区に関わる筆子塚
泉区に関わる筆子塚
小山三郎兵衛中田寺墓地寛永三年中田町
小林清兵衛不明延宝七年頃新橋町
巨海珠公長福寺墓地安永二年和泉町
日謙本興寺墓地文化四年上飯田町
日時本興寺墓地天保七年上飯田町
吉田雄山向導寺墓地嘉永四年岡津町
日応本興寺墓地安政七年上飯田町
保田彦兵衛保田家墓地慶応三年大和市
通応貫之長福寺墓地慶応四年和泉町
矢沢保光高倉慶応四年藤沢市
小林清兵衛不明幕末頃新橋町
原田由右衛門天神社明治三年岡津町
栄隆西林寺明治二一年岡津町
保田三友保田家墓地明治二二年大和市
市村利央墓地明治三二年大和市
小菅市左衛門墓地明治四十年大和市

また、地域にある寺子屋だけでなく、上飯田村や和泉村の子どもたちは、福田(大和市)の安田彦兵衛・三友親子、市村利央、小菅市左衛門が開いた寺子屋に通っており、また上飯田村の本興寺で開いた寺子屋に福田(大和市)からも子どもが通っている。

岡津村の原田由右衛門が開いた寺子屋には、中田村、阿久和村、後山田村(戸塚区川上町)名瀬村(戸塚区名瀬町)の子どもたちが通っており、当時はかなり広範囲からそれぞれの寺子屋に通っていたようである。
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平成8年11月3日発行
泉区制十周年記念出版
いずみ いまむかし
-泉区小史- より




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