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山岳信仰碑と山岳信仰

最終更新日 2019年3月4日

早くから住宅地として開けた中田地区

3.山岳信仰碑と山岳信仰

御嶽山自然板石碑の画像
御嶽山自然板石碑

御霊神社の鳥居右奥の高台に、木曽の御嶽山(おんたけさん)を信仰する「起立講(きりゅうこう)」の御嶽山遥拝所(ようはいしょ)がある。

高台の頂上部で二十畳ぐらいの広さがあり、富士講の富士塚のように人工的に土を盛って作られたもので、神社の境内では一番高い所になっている。

中央に明治七年(一八七四)十二月建立の國常立尊(くにとこだちのみこと)の外三つの神社名が刻まれた自然板石碑(ばんせきひ)が建ち、わきに御影石の大黒様、一番左側には、神武天皇白川神社と彫られた明治十年の建立の自然板石碑がある。


上和泉の出羽三山供養碑の画像
上和泉の出羽三山供養碑

起立講の人たちは毎年八月一日に碑の前に集まり、敷地の掃除をした後、般若心経を唱えてお参りをし、翌日三、四十名の人たちが一泊か二泊ぐらいの行程で、木曽の御嶽山に王滝口(おたきぐち)から登山してお参りをしている。

このほか泉区内で山岳信仰が今でも続けられているところは、和泉三家の「御嶽講(みたけこう)」である。三家では日枝神社の境内に祀られている御嶽神社、第六天神社、白神社の春祭りの後、奥多摩の「武州御嶽(ぶしゅうみたけ)神社」に、毎年数名の氏子が代参(だいさん)でお参りをしている。

中田でも下村の鈴木信夫氏の屋敷隣に御嶽社が祀られており、下村、葛野の十名の講中によって維持されている。また毎年数名が武州御嶽神社にお参りしている。

大山講も一時期まで各地域で熱心に行われていた。今ではお参りした後、夜は熱海や湯河原の温泉へ行くという観光を兼ねた講が多いようであるが、最近、本来の講組織結成の萌芽も見られるようである。そのほか三峰山や秋葉山などの講中もあったが、講組織として残っている地域はないようである。

また熱心な信仰の証であった石碑の建立など文字塔として残っているものは、富士塚の富士講碑、路傍の石神仏と一緒に祀られ、また神社や寺の境内に遷されている出羽三山供養碑、熊野三社権現祠などがある。

これらの中で、上和泉の並木谷戸(なみきやと)にある出羽三山供養碑の数基には、明和年間(一七六四~一七七二)をはじめ文化、文政の頃のものが多く、建立の導師を和泉の密蔵院が勤めている。出羽三山参りの先達をしたのであろう。安西長善坊、安西法泉坊、安西善寿坊などと、僧名を授けてもらった熱心な信者もいた。石碑には、羽黒山三大宿坊の一つであり、山中で間口十四間半、奥行十五間半の堂宇を誇った「正穏院(しょうおんいん)」の名も刻まれている。

なお下飯田の琴平神社境内にある白山神社は、神仏混淆時代に琴平神社の別当を勤めた東泉寺の住職が祀ったものであろう。曹洞宗では現在でも、永平寺の修行僧が毎年夏に加賀の白山に登山してお参りをしている。
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平成8年11月3日発行
泉区制十周年記念出版
いずみ いまむかし
-泉区小史- より



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