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田丸家と鎌倉ハム

最終更新日 2019年2月28日

田園風景を今も残す下飯田地区

12.田丸家と鎌倉ハム

缶づめのラベルの画像
缶づめのラベル

中和田南小学校バス停の交差点を南に下った所に、通称「ハム屋」と呼ばれる田丸家がある。
現在の戸主、田丸稔氏の話によれば、父、田丸金次郎は、大正十三年(一九二五)から昭和十四年までの十六年間、この下飯田の地で当時のブランド商品とも言える「鎌倉ハム」のスライス缶詰を、「田丸商会」という名のもとで生産し販売していたとのことである。

鎌倉ハムは、明治三十年(一八九八)に根岸に住むイギリス人ウイリアム・カティスによって創始され、鎌倉郡各地で生産されたためにその名が付けられた。主な生産者は、田丸家のほか、柏尾の岡部家、斎藤家、益田家、大船の富岡家、下和泉の清水家であった。

金次郎は事業を興すに先立ち、明治四十年から大正十一年までのおよそ十五年間、兄七五郎とともに下和泉の清水桃太郎のもとで働き、修行を積んだ。その後、兄は清水家に残り、金次郎は独立し、別の兄である田丸巳之助とともに田丸商会を設立した。仕事の内容は、豚のモモ肉の燻製を仕入れてスライスし、間にりゅうさん紙という紙をはさんでブリキの缶に詰め、蓋をハンダで止めたあと小さな穴をあけ、温めて空気を抜いたあと穴をふさいで真空状態にする、という缶詰生産の作業であった。缶は、当時としてはめずらしい、ネジ切り込み式の「外ばめ缶」を使用していた。製品は東京の国分商店と銀座の三越デパートに納めていた。昭和十年当時、三越では一缶五十五~六十銭で売っていた。現在の金額にすると一缶五千円もしたことになり、高級品として需要が高かったようである。幸いなことに、地元の人は切り残った部分を安くわけてもらい、口にすることができたそうである。

やがて、戦争の始まりとともに軍事物資であるブリキが手に入らなくなり、廃業を止むなくされたが、当時の建物は、もとの場所の東隣である田丸家の屋敷内に移転されて現在も残り、往時をしのばせてくれている。
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平成8年11月3日発行
泉区制十周年記念出版
いずみ いまむかし
-泉区小史- より



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