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稲荷社と稲荷講

最終更新日 2019年2月28日

田園風景を今も残す下飯田地区

9.稲荷社(いなりしゃ)と稲荷講(いなりこう)


初午の日の稲荷社

泉区の各地では、稲荷社を祀り、今でも稲荷講の行事が毎年行われている。

下飯田町の元木地区では、六一四番地、六五二番地、七〇〇番地付近にそれぞれ共同の稲荷を置き、十軒前後で稲荷講の三つのグループを結成し、ねんごろに祀っている。この地区では、毎年二月一日の朝、各稲荷社に集まり、きれいに周辺を掃除し、火を焚いて清め、のぼり旗を立てる。そして、「ツトック」と呼ばれるワラを束ねた舟形の入れ物に、あずきご飯を入れてその上に油揚をのせて供える。その後、当番の家に集まり、煮物を食べ、お茶を飲んで当年の多幸を祈念する。これらの共同の稲荷のほか、各家に稲荷を祀っている家も多く、重複して、あるいは独立して参拝している例も多い。

他の地区では、毎年二月の初午の日にこの行事が行われることが多く、その風習は似通っているが、地域の特色に合わせて工夫されている。和泉町では二月の初午の前夜、当番の家に集まって「お日待ち」の会が催される地区もある。

このような稲荷信仰は、稲の豊作を守護する農耕神を祀り、キツネを使者として神格化したものであり、語源は『日本書紀』にある「稲生(いねなり)」からきているといわれている。平安時代に、秦(はた)氏が京都伏見に氏神として稲荷神社を祀り、これが一般に広まった。その後、江戸時代には老中田沼意次が信仰したことにより、福寿幸運の神として人気が高まり、各家屋敷の中に勧請するようになった。特に農民の間では、裏山や野辺に共同の稲荷社を祀り、各地で稲荷講を組織していった。また、個人の所有の稲荷は、屋敷(やしき)稲荷と呼ばれ、共同の稲荷である講中(こうじゅう)稲荷、組(くみ)稲荷などと区別されて呼ばれてきた。

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平成8年11月3日発行
泉区制十周年記念出版
いずみ いまむかし
-泉区小史- より



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