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東泉寺と相模八十八札所

最終更新日 2019年2月19日

田園風景を今も残す下飯田地区

4.東泉寺(とうせんじ)と相模八十八札所(ふだしょ)

東泉寺山門と札所石標の画像
東泉寺山門と札所石標

下飯田バス停付近に曹洞宗東泉寺がある。本尊は釈迦牟陀仏で、鎌倉市植木の龍宝寺の末寺である。巨木山(こぼくさん)という山号にふさわしく、山門前に樹齢四〇〇年ともいわれる一対の大銀杏(いちょう)がそびえ立っている。

開創は不明であるが、当地の言い伝えによれば、以前は境川べりにあり、川の氾濫により再三流されたため現在の地に移されたといわれている。もとの土地は、「寺分(てらぶん)」という呼称で下飯田町四九〇番地付近に今なお一部が残っている。

中興開基(復興の祖)と呼ばれる人は旗本の筧助兵衛為春であり、天正十八年(一五九〇)より知行地として当地を治め、間もなくこの寺を再興したと思われる。なお、同時期に薬師堂も境内に移転している。


海州和尚の往来手形の画像
海州和尚の往来手形

この薬師堂内には、弘法大師石像(お大師様)が祀られ、「相模国準四国八十八ケ所」の一つとなっている。江戸時代には四国遍路が困難な人々のため、四国の各札所の霊砂を持ち帰り、新四国または準四国として各地ごとに札所ができていた。相模の地では、文政四年(一七二一)に鵠沼普門寺の僧の発願により、相模川以東の湘南・藤沢地区の寺院が割り当てられ、八十八ケ所が定められた。東泉寺はその五十九番札所となっている。山門下の参道の中ほどに札所石標があり、

打ちなびく稲の穂なみのよる人も
みなゆたけしと飯田むらかな

と、当時の御詠歌が刻まれており、往時をしのばせてくれる。

山門は、十一世住職の春長義天(しゅんちょうぎてん)和尚により天明三年(一七八三)に再興されている。平成五年、この山門を修復したときに、天明の飢餓の様子、浅間山の噴火、風水害の様子などが、書き付けられている梁(はり)や肘木(ひじき)が多数発見された。

例えば、
「此年七月上州浅間山焼、当村昼夜地震凡八日程・・・、」
「白米百文ニ付六合民皆死・・・、粟稗皆クサル・・・」
などとあり、自然災害とともに米価が二倍にもなり、食料に窮したことが記されている。そのほか、当時の俳人美濃口春鴻(しゅんこう)の句、「人も斯(かく)老いて秋立つ眉毛(まゆげ)かな」など数句が書かれていた。

また、寺には、二十四世玉峰海州(ぎょくほうかいしゅう)和尚が九州からこの地に入るための「往来手形」(江戸末期の文書)が残されている。

現代の本堂は、関東大震災での倒壊後、再建されたものだが、正面に掲げられている『東泉禅寺』の額は、明治三十一年に、当時の名僧として誉れ高かった、鎌倉円覚寺管長、釈宗演(しゃくそうえん)禅師によって書かれたものである。
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平成8年11月3日発行
泉区制十周年記念出版
いずみ いまむかし
-泉区小史- より




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