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たつ道と弥生時代の遺跡

最終更新日 2019年2月19日

田園風景を今も残す下飯田地区

1.たつ道と弥生時代の遺跡

元木遺跡付近の画像
元木遺跡付近

泉区の西側の境川と和泉川にはさまれた台地を南北に真っ直ぐ貫いている道は、「たつ道」と呼ばれ、瀬谷から戸塚区俣野方面への最短の直線道路である。

この道は、古くから飯田と呼ばれてきた集落の中を通る道とともに、鎌倉道(鎌倉への道「かまくら道」 参照)といわれ、下飯田の南端の鍋屋橋付近で一緒になる。いわば、たつ道は飯田地区のバイパスとしての役割を担っていたともいえよう。新田義貞は鎌倉攻めの際にこの道を通ったともいわれている。


たつ道沿いの遺跡指定地の画像
たつ道沿いの遺跡指定地

道沿いからは、あちこちで土器や遺跡が出土し、古来からの生活の息吹を感じさせてくれている。埋蔵文化財発掘調査によれば、このたつ道沿いのおよそ十三地区が遺跡の形跡があるとして記録(別表参照)されている。下飯田の南端付近の台地からは、弥生時代中期後半の宮の台期の土器が発見されており、「元木遺跡」と呼ばれている。また、中和田南小学校周辺(下和泉遺跡)からも先土器時代の石斧が発見されている。

昭和六十二年から平成元年にかけて、相模鉄道線延伸の予備調査では、弥生時代後期から古墳時代にかけての土器が出土した。続いて、平成七年七月から行われた市営地下鉄の調査では、同時代の竪穴式の集落跡と原形をとどめた多数の土器が掘り起こされた。これらの遺跡は、その字名から「草木(くさき)遺跡」「中ノ宮(なかのみや)遺跡」「下飯田林(はやし)遺跡」と名付けられている。また、同調査の際、たつ道に沿って十mほど東側に中世から近世にかけての古道があったことがわかり、当時から重要な道であったことが裏づけられている。


出土した土器の画像
出土した土器

昭和五年から六年にかけて俣野の石川重郎、下飯田の大川弥助らの尽力により、中和田村の事業としてたつ道の拡幅工事が行われ、整備後は農作業の車両が通ったり、物資の搬送に使われるようになったため、「産業道路」とも呼ばれた。

また、環状四号線がこのたつ道を通ることとなり、さらに一歩新しい役割を担い工事が進んでいる

下飯田林遺跡竪穴式住居址の画像
下飯田林遺跡竪穴式住居址

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