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プロローグ

最終更新日 2019年2月27日

『保土ケ谷区史』を開くと、そうそうたる歴史上の人物が並びます。鎌倉も、小田原も神奈川県内、かなざわかまくら道は、歴史の足音が聞こえてくる道です。
東海道では江戸から品川・川崎・神奈川に次いで4つ目の宿場。この宿駅制度ができて、今年(平成13年)はちょうど400年。最近“東海道ルネッサンス”ということばを聞いたり、見たりしませんか。
徳川家康も、保土ケ谷を通って江戸へ、京都へと行ったはず。「保土ケ谷イコール東海道の宿場町」となんとなくイメージしていませんか。
保土ケ谷は、東海道だけではありません。シルクロードはご存じですか。近代、八王子街道を横浜の港へ高級な絹が運ばれました。このシルクロードは、ラクダではなく、馬や牛で、細い山道をぬって港へ。横浜の発展に大きく寄与していました。
保土ケ谷区は、東西南北に広がり、まわりを神奈川・西・南・旭・戸塚・緑の6つの区にかこまれ、横浜市の真ん中に位置しています。
平成9年に区制70周年を記念し、『保土ケ谷区史』を発行しました。次回から、保土ケ谷の今と昔をスポット的に紹介します。

現在の八王子街道(国道16号)


愉快な「むかしばなし」

【江戸の火消しと保土ケ谷ッ児の喧嘩】

天明年間(1781~)のこと、当時の保土ケ谷ッ児は特に気が荒くてさすがの江戸ッ児も一目おいていた。
それはある日のこと、保土ケ谷へ来た江戸の火消しが喧嘩を売られてひどくやっつけられ、口惜しさのあまりこれを江戸の仲間に告げた。すると江戸ッ児も短気で鼻息が荒い。『よし、こらしめてやろう。江戸ッ児の面目がたたねぇ。』と約40人が、こん棒を手にやってきた。これには向こう見ずの保土ケ谷ッ児も驚いた。
『こりゃぁ、喧嘩しても分があわねぇ。』というわけで和睦を申し込んだ。『勘忍5両、負けて3両』はここからでた言葉らしく、どうやらその場は『まぁまぁ』でおさまって、仲直りに宴を張った。酒と肴の膳が運ばれる。すると驚いたことに膾(なます)の中になんとピンピンした蛙が入って跳ね回っている。

その時の宴の様子のイラスト


これは、保土ケ谷の者が付近の田圃(たんぼ)にウヨウヨいる奴を捕ってきて、珍味とばかり膳に飾ったもので、これには江戸ッ児も喧嘩は別にして度肝を抜かれた。それだけならまだいいが、保土ケ谷ッ児はそれをムシャムシャうまそうに食っているので二度びっくり、すっかりこれに参って江戸へ逃げ帰ったということだ。・・・

保土ケ谷ッ児は特に喧嘩が強くて有名だったらしい。
「台(神奈川区の台町)で物喰うな、保土ケ谷で喧嘩するな」という文句があったようで、保土ケ谷で喧嘩をするとひどい目にあうので恐れられていたということです。
何だか当時の保土ケ谷宿の雰囲気がいきいきとあらわれている感じがしますね。


出典:保土ケ谷ものがたりより

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