🔶自己紹介 オマーンから来ましたアル・シャンファリ・モハメドと申します。横浜国立大学大学院では、経営学博士課程で経営学を学んでいます。日本に来る以前にも、オマーンとヨーロッパでも勉強をしていました。横浜で、新たな経験を積めていることは、私の人生で心躍る、かけがえのない時間です!これからも保土ケ谷の皆さんとたくさん交流していきたいと思っています。 🔶オマーンの紹介 2018年9月、初めて来日して、成田空港に到着した時の話です。空港から市内に出ようとしていたところ、突然、一人の警察官が私のところにやってきて、「あなたは外国人ですか?」と困った表情で私に話しかけ、「私は、そうですけど何か?」と答えました。すると彼は1枚のチラシのようなものを私に手渡し、「ようこそ、日本へ!この紙には、緊急時に役立つ情報が書かれているから、使ってね!」と微笑みました。「それで、どちらの国から?」と彼は続け、私は「オマーンです!」と声高らかに答えました。彼は頭を掻きながら、オマーンについて何か思い出そうとして、「えーーーと、サッカーだ!」と。確かに、ちょうど私が来日した月に、日本対オマーンの公式試合があったのです。 オマーンという国は、平穏で日本のマスメディアもあまりオマーンについて報道する機会がないように思います。それで彼は、サッカーの試合を口にしたのでしょう。そんなオマーンは、ため息が出るほど素敵な自然と、美しい建築物がたくさんある国です。ここでは、まだ日本の皆さんにあまり知られていないオマーンの魅力について紹介したいと思います。 オマーンは中東・西アジアに位置する絶対君主制国家です。アラビア半島の東端にあり、北西部にアラブ首長国連邦、西にサウジアラビア、南西にイエメンと国境を接しています。本土の北部はオマーン湾、東部はインド洋に面しています。東部の沿岸沖には、島々もあります。首都は北部にあるマスカットです。国全体の面積は、約30万9千㎢(日本の85%の大きさ)で、人口は約448万人、公用語はアラビア語です。 過去50年を振り返るとオマーンは合計特殊出生率が非常に高かった時代がありました。1980年代には1家族に10人~20人ほど子どもを持つ家庭もありました。最近では1家族の子どもの数は平均4人です。アラビア半島ということで、多くの人が砂漠をイメージするかもしれませんが、オマーンの地理は砂漠だけでなく、山地があったり、豊かな木々が生い茂る場所もたくさんあったりします。なお、オマーンで最も標高が高い「シャムス山」は標高3,017mで、日本の富士山の高さに近いです。 🔶オマーンの気候 オマーンの気候は地域によって異なりますが、首都マスカットがある北部は暑くて湿気が高いです。年間を通じて雨量が少なく、特に夏季はめったに雨は降りません。冬季に少し雨が降るくらいです。夏季は4月から10月(もしくは5月から8月)で、この時期の最高気温は45℃の日もあり、最低気温も30℃と、朝晩厳しい暑さが続きます。日差しも強いので、自家用車のボンネットの上で生卵が目玉焼きになるほどです! 私はオマーン南部のドファールという地域の出身ですが、この地域は年間平均気温27℃、最低気温14℃くらいで、夏季は毎日、霧雨が降ります。11月を過ぎると晴れの日も続き、特に12月から2月は日本の秋と同じような過ごしやすい気候になります。 🔶オマーンと日本の関係 2014年、ロンドンで私はシェアハウスを借りて、妻と当時3歳の娘と生活していました。隣の部屋に日本人女性が暮らしているのは聞いていたのですが、毎日、台所などの共有スペースで顔を合わせても、彼女はいつも足早に部屋に戻ってしまい、暫くの期間、「Hi!(こんにちは!)」くらいしか、接点を持つことはありませんでした。若い日本人女性が異国の地に一人で生活していて、私のような見知らぬ外国人(妻は常にスカーフで髪の毛を覆っていて、見るからに外国人)を警戒するのも当然です。彼女は、いつも、簡単な挨拶や会釈くらいしかしてくれず、すぐに彼女の部屋に戻ってしまう日々が続きましたが、ある時、私は意を決し、彼女に「ねぇ、君!僕はオマーン出身で、オマーンは日本と素晴らしい関係性を持っていることを知っているかな?」と尋ねました。すると彼女は「あぁ、はい。」とだけ答えてまた部屋に戻ってしまいました。 その後、彼女は部屋を出てしまいましたが、その日に、私の部屋のドアと床の隙間に、彼女からの置き手紙を見つけました。「私はあなたの国(オマーン)について調べてみました。国王陛下が日本にルーツがあると知り本当に驚きました!それに、2011年の東日本大震災の時、日本に対し、多大なる義援金をいただいたことも知りました。あなたに会えなければ、オマーンを知る機会はなかったかもしれません。会えてよかったです!」と書かれていました。私はそれ以来、彼女に会うことはありませんでしたが、彼女の手紙をきっかけに、私もオマーンと日本の関係性についてもっと深く勉強してみようと思い、日本に興味を持ちました。 オマーンはアフリカ、ヨーロッパ、東アジアの分岐点となる国で、長年にわたり、様々な国と交流を持ってきました。長い歴史の中で、アラブ地域の中でも、オマーンは最も古くからある独立国家と言われています。日本との関係が始まったのは、400年以上前にさかのぼります。1619年、ある日本人キリスト教徒がエルサレムまでの巡礼の途中に、オマーンに立ち寄り交流をしたと言われています。時は流れ1935年、当時、オマーンの元国王であったタイムール氏が日本を訪ね、犬山清子氏と恋に落ち、結婚し、二人は神戸市で新婚生活を始めました。そこで後のブサイナ王女となる娘を授かりました。その3年後、残念なことに清子氏は病により他界し、タイムール氏は幼いブサイナ王女を連れてオマーンに移住しました。現在もブサイナ王女は首都マスカットに住んでいます。このブサイナ王女は、2020年1月まで在位していたカーブス・ビン・サイード元国王の叔母にあたります。 🔶オマーンの文化 オマーンには色あせることない文化があります。アラブ地域各地の影響を受けた文化のほか、オマーン独自の文化もたくさんあります。例えば、お祝い行事ですが、イスラム教徒の絶食期間(ラマダン)明けには数日間の連休があります。日本でいう、ゴールデンウイークに似た連休です。また、預言者ムハンマドの誕生を祝う祝日もあります。もし、ラマダン期間中にオマーンやイスラム教徒の多い国を訪れたら、その期間、レストランは日中全て閉まっていて、夜間にだけ短い時間開いているといった光景を目にするでしょう。 日本と似ている文化もあります。オマーンでも家に入る際には玄関で靴を脱ぎ、室内では床に座る文化があります。オマーンも拡大家族が多く、祖父母と同居している家庭が多いです。また、日本人同様、はっきりと「YES」、「NO」を答えないことが多いです。はっきり肯定、否定をすることで、相手のプライドを傷つけることを避けるためです。 芸術面では、筆やインクは異なりますが、日本の書道に近い文化もあります。また、日本も香料については長い歴史があると思いますが、オマーンでは乳香と呼ばれる樹木から分泌される樹脂を原料としたフレグランスがあります。樹に傷をつけて、樹液を収穫して、それをお香のように毎日焚く習慣があります。オマーン産の乳香は高品質で貴重なものです。昔は金と取引きされていました。 アラブ地域らしく、ラクダやアラブ種(馬)などの動物を様々なイベントで目にすることができます。また、市内にはロイヤルオペラハウスなどの娯楽を楽しむ施設もあります。オマーンの食文化ですが、香り豊かなスパイスやハーブをよく使う傾向にあります。日本と同様、米を食べる文化があり、魚も食べますが、鶏肉やラム肉、牛肉のほか、珍しいことにラクダの肉も貴重な食材で、よく食します。食事の方法ですが、伝統的に、オマーンでは大きなお皿に盛られた料理を床に座って手だけを使って食べます。 🔶オマーンのおすすめ オマーン人はみな、いつも大らかな雰囲気で、オマーンに来たら、独特の空気を味わえます。また、「千夜一夜物語(アラビアンナイト)」の物語に出るような、砂漠、オアシス、岩山など、オマーン国内には、外国人を魅了する独特の風景があります。国内には自然が作り出したオアシス(岩山の間に流れ込む山からの流水から成る美しい青色の水たまりなど)もあります。 絶対に訪れてほしい場所はユネスコの世界遺産にも登録されている「スルタン・カブース・グランドモスク」です。首都マスカットにあり、豪華な造りの広大なモスクです。また、城塞も国内の様々な場所にあり、中でもオマーン北部標高約3,000mの山麓にあり、世界遺産にも登録されているバハラ城塞は美しいです。 🔶保土ケ谷区についての感想 昨年、新桜ケ丘地区主催の「昔あそびのつどい」に参加させていただきました!藤塚小学校で地域の子どもたち(主に小学生)と一緒に、笹船や紙飛行機づくり、お手玉、折り紙、茶道、竹馬など日本の伝統的な遊びを、地域の方に教えてもらいながら体験できました。小学生に対して教育的なプログラムでとても良いイベントだと感じました。また、私が驚いたのは、小学校がこのように地域の方が主催したイベントで使えることです。オマーンにはそのような使われ方はなく、モスク等では大規模なイベントや講演などは行われるのですが、地域の学校が地域の人たちに開放されていることは大事なことだと思います。このイベントのほかにも、日本の和太鼓や紙芝居、人形劇などを見る機会もありましたが、いずれも幅広い年代の人たちが一緒に楽しむ様子は見ていて本当に楽しかったし、良い雰囲気の町だなと感じています。 今後、オマーンの国紹介やアラブ文化を皆さんにお伝えする機会が持てたら嬉しいです。また、地域主催の伝統行事にもぜひ、遊びに行かせて欲しいと思っています。