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歴史で知る 開始100年の国勢調査

最終更新日 2020年6月5日

今回の令和2年(2020年)国勢調査は、日本で初めて行われた大正9年(1920年)から数えて、ちょうど100年の節目の調査になります。
この機会に、歴史ある国勢調査を少し掘り下げてご紹介します。

国勢調査の歴史

国勢調査(センサス)の語源

国勢調査は、英語のポピュレーション・センサス(Population Census)の訳語とされていて、調査対象者のすべてを調べる「全数調査」を意味しています。

このセンサス(Census)の語源は、古代ローマにおいて、市民の登録(人口登録)、財産・所得の評価、税金の査定を担当する職員を Censor (センソール) といっていましたが、 この職名をラテン語でCensere(センサー) といい、これが転じてCensusになったといわれています。

国勢調査(センサス)の起源

人口センサス(国勢調査)の歴史は古く、紀元前3000年以前に、古代バビロニア(西アジアの古代帝国)において、国富の把握を目的として最古の土地・人口調査が行われていたようです。エジプトにおいても、ピラミッド建設のために人口調査が行われています。中国では、 農地の分配と租税の徴収のために人口調査が行われ、 農工・商業に関する調査も行われたという統計記録も残されています。
日本においては、3~4世紀の崇神天皇(第10代天皇)の時代に、調役の賦課のために人口調査を実施したとの記述が日本書紀にあります。

このように、古くから人口や土地、財産などについて調査が行われてきましたが、これらは人々の利益のためでなく、あくまでも納税や徴兵、強制労働を達成するための情報収集でしかありませんでした。

近代センサスの幕開け

しかし、17世紀になると、社会の構造の変化を明らかにすることを目的とするようになり、調査対象も特定の人からすべての人を対象とするようになり、近代センサスの幕が開かれました。

近代的な人口センサスは、1790年にアメリカ合衆国で行われたものが世界で最初のものと考えられており、税負担や下院議員の定数を各州の人口に比例して配分するための基礎データを得るために実施されました。その後、19世紀に入り、フランス、イギリス(1801年)、ベルギー(1831年)など西洋諸国で次々に実施されました。

初めての国勢調査


杉亨二

日本では、1879年(明治12年)に統計学者・杉亨二(すぎこうじ)によって最初の近代人口センサスの試験調査が甲斐国(現在の山梨県)で実施されました。
日清戦争後の1895年(明治28年)には、国際統計協会から日本政府に対して「1900年世界人口センサス」への参加の働きかけがあり、1902年(明治35年)に「国勢調査ニ関スル法律」が成立・公布されました。
第1回の国勢調査は、本来1905年(明治38年)に行われる予定でしたが、日露戦争のため見送られ、その後も1915年(大正4年)は第一次世界大戦の影響で実施が見送られました。結果、待望の第1回は1920年(大正9年)に原敬内閣の下で行われました。

あなたの知らない国勢調査の豆知識

「人口センサス」ではなく「国勢調査」

国際的には「人口センサス」と呼ばれていますが、日本では「国勢調査」という名称が用いられています。
日本で最初に「国勢調査」という言葉が公式に使用されるようになったのは、明治29年(1896年)3月に議決された衆議院「国勢調査執行建議」及び貴族院「国勢調査ニ関スル建議」の中で、その後明治35年(1902年)に「国勢調査ニ関スル法律」が成立して以来、国勢調査として定着するようになりました。

「国勢」とは「国の情勢」の意味

国勢調査の「国勢」を訓読みして「国のいきおい」を調べる調査ととらえがちですが、前述の「国勢調査ニ関スル建議」によると、「国勢調査ハ全国人民ノ現状即チ男女年齢職業…(中略)…精細ニ現実ノ状況ヲ調査スルモノニシテ一タビ此ノ調査ヲ行フトキハ全国ノ情勢之ヲ掌上ニ見ルヲ得ベシ」とあります。
つまり、「国勢」とは「国の情勢」という意味なのです。

国勢調査よりも前に「国勢」の言葉を使った人物


大隈重信

国勢調査以前に、この「国勢」という言葉を用いていた人がいます。
それは、二度にわたり内閣総理大臣を務めた政治家・大隈重信(おおくましげのぶ)です。早稲田大学の創設者としても有名ですが、わが国の統計組織の整備にも尽力しました。
正確な統計の必要性を感じていた大隈は、明治14年(1881年)に統計院の設立について建議しました。その建議書には、次のように書かれています。
「現在の国勢を詳明せざれば、政府すなわち施政の便を失う。過去施政の結果を鑑照せざれば、政府その政策の利弊を知るに由なし」
(意味:現在の国の情勢を鮮明に明らかにしなければ、政府は政治を執り行うことはできない。また、過去の施政の結果と比較してみなければ、政府はその施政の良し悪しを知ることができない)

10月1日に調査するのは、なぜ?

第1回国勢調査の報告書によれば、「冬は積雪が深く」、「夏季は炎暑が激しく」、「春は旅行、遊山する者が多く」との理由で秋季に絞られ、「比較的人口の分布が常態であり、全人口の大半を占める農業従事者にとっては、かならずしも農繁期でなく、かつ1年の4分の3を経過した10月1日をもって、最も適当な調査期日と決めた」とあります。

このように、国勢調査の調査期日は、南北に細長い日本列島の気候風土、風俗習慣、 人々の経済活動などから定められていますが、10月1日は、4月から始まる会計年度の中央日であることから、その調査結果は年度の中央値として、行政上の利用に便利であるということもあるようです。

5年に一度、調査するのは、なぜ?

明治35年(1902年)に成立した、公布された「国勢調査ニ関スル法律」によると、当初、10年ごとに行うことになっていました。
しかし、10年ごとでは、急激な社会・経済の変化を把握することは難しく、各種施策の基礎資料として不十分であるとして、第1回国勢調査の2年後に当たる大正11年(1922年)の法律改正により、5年ごとに行うこととされました。
さらに、昭和22年、国勢調査の実施について、「統計法」(わが国の統計に関する基本法)で規定され、これが現在の「統計法」(平成19年法律第53号)に引き継がれ、現在に至っています。

国勢調査は大正9年(1920年)が最初で、西暦年の末尾が「0」の年に大規模調査、「5」の年に調査項目が少ない簡易調査が行われています。(項目数に大きな差はありませんが、大規模調査では「教育」と「利用交通手段」を調査します。)

唯一、中止となった国勢調査

大正9年(1920年)から5年ごとに行われてきた国勢調査ですが、一度だけ周期がずれた年があります。
それは昭和20年(1945年)の第6回目の調査で、第二次世界大戦の影響で実施が見送られました。
終戦から2年後、昭和22年(1947年)に戦後復興の基礎的資料を得るための臨時の国勢調査が行われ、第7回目の調査以降は5年ごとに実施されています。

横浜市の昔と今

初めて国勢調査が実施された大正9年(1920年)当時の横浜市は、市域が横浜港とその周辺域における面積37.03平方キロメートルのエリアで、人口は42万2938人でした。
その後、都市としての発展に伴い、市域も拡張され、人口も大幅に増加していきました。平成27年(2015年)の国勢調査では372万4844人を数え、およそ9倍の規模にまで増加しています。


横浜市の人口の比較(大正9年・平成27年)
 大正9年(1920年)平成27年(2015年)
面積(平方キロメートル)37.03435.23
人口422,938人3,724,844人

15歳未満

131,848人(31.2%)468,535人(12.7%)

15~64歳

278,493人(65.8%)2,368,291人(64.0%)

65歳以上

12,597人(3.0%)865,490人(23.4%)
世帯数95,243世帯1,645,618世帯
1世帯当たり人員4.44人2.26人
外国人9,659人68,325人
就業者数184,078人1,673,913人

農業(平成27年 農業,林業)

4,470人(2.4%)7,529人(0.4%)

工業(同 製造業)

63,709人(34.6%)212,487人(12.7%)

商業(同 卸売業,小売業)

53,637人(29.1%)257,221人(15.4%)

※平成27年の年齢3区分別割合は、年齢不詳を除いた総人口に占める割合です。

関係リンク


※上記の内容は、一部統計局のホームページから引用しています。

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電話:045-671-4201

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メールアドレス:ss-info@city.yokohama.jp

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