《15》横浜市の国際協力の展望と大学の役割 執筆 中村 文彦 横浜国立大学 都市イノベーション研究院教授 1 はじめに  筆者は、1992年、東京大学工学部都市工学科助手の時代に、JICAの長期派遣専門家として、タイのアジア工科大学院(Asian Institute of Technology : AIT)人間居住開発学科に2年間滞在し教鞭をとっていた経験を有している。当時のAITは、準国際機関としての高い地位を有する大学院大学としてアジア地域で知られていた。修士課程が中心の全寮制の大学院で、学生数は約1000人で、東南アジアを中心に20か国以上の国から学生が集い、各国政府からの奨学金で学んでいた。教員は約140人いて、こちらは先進国が中心だが、やはり約20か国から集まっていた。大学院に直接雇用されている教員もいたが、私のように外国(タイからみれば日本は外国)政府から期間限定で派遣されている教員も多かった。当時日本から10名ちょっとの教員が交代で派遣されていた。AITの守備範囲は、純粋な土木工学から農業土木、計算機科学、環境工学、都市計画まで、開発途上国で求められている実践的な学術領域を中心としたものであった。東南アジア地域では、AITで修士号を取得することが名誉であったようで、卒業生の多くは母国のエンジニアとしての名刺にAIT修了を明記していた。  開発途上国のことも国際協力のこともなにもわからないまま始まった2年間だったが、自分が国際協力を考え実践している、その原点が、AITでの教員時代である。本稿では、僭越ながら、自分の国際協力の原点、そして現在の業務を振り返りながら、横浜市の国際協力の展望について試論をまとめた。 2 国際協力の意味  そもそも先進国と途上国という区分では、もちろん公式の定義はあるものの、先進国が途上国になにかを授ける、施すようなイメージでとらえがちである。ネイティブの英語を話す国が優れた国であって、経済的に貧しい国は遅れた国というイメージも強いかもしれない。援助国と被援助国という区分もある。援助国たる日本の大都市横浜は、誰に、なにを、なんのために援助するのか、そもそも援助とはなんなのか、さまざまな理解のされ方があるように思える。筆者は、冒頭に述べた体験が原風景であることもあり、専門分野は都市交通計画であるにしても、基本的には、人材育成の視点を中心に考えてしまう傾向がある。  問いかけへの答として、財源と技術と優秀な人材を有する都市が、それらを有することなく、さまざまなことで困っている国々、都市に対して、インフラを、それを計画、建設、運用、維持管理する技術を、そのための資金を、技術を有する人材を、そういう人材を育成する教育システムを、それらの国々、都市が、自立して、自律的にやっていけるようになるために行うのが国際協力なのだろうと思う。では、それはなんのためなのか?横浜市にとってはなにがメリットなのか?ここにも答が必要である。  経済的には遅れていても、優れた文化、歴史、自然資源を有する国々の人々との交流から学ぶことは多く、我々に多くの発見の機会を与え、確実に我々を成長させる。自分たちの国での経験や実績だけが全てではなく、全く違う価値観のもとでの全く違う常識があり、多くの場合、当初は、そういう差異に大きく困惑し、時には衝突もする。が、やがて、そういう経験が、自分を、組織を成長させてくれる。このプロセスでの目に見えない財産の価値は絶大である。これからの時代では、多様性、さまざまな異なった価値観や考え方を受け入れていかざるを得ず、また受け入れることで、相乗効果機能や相互補完機能を獲得し、我々もより強くなっていく。SDGsがロゴになり、標語化し、マニュアル化し、良い意味ではより身近に、持続可能という言葉を使うようになっているが、本来は、環境、社会、そして経済のバランスをとり、先進国も途上国も共通だが差異のある責任を有し、という流れである。ここで重要なのが、多様性であり、相互信頼である。国際協力活動は、そのような意味で、横浜を、日本を、本当の意味で強くしなやかにしていく、重要な機会なのだと考える。  横浜市が、これまで取り組んできたさまざまな国際協力活動は、表面的には、道路や水道あるいは港湾などのインフラ整備等がメインではあるが、そのプロセスの中で、多くの人材交流があり、人材育成を通して、被援助国の政府機関やエンジニアとの強い絆をつくりあげ、それらが、今では横浜市にとっても、大きな財産となっている。他人様のための活動が、しっかりと自分の身になってかえってくる、わかりやすい好例ともいえる。 3 大学での取り組み 筆者のこれまでの経験に基づいて、大学での国際協力に関連する取り組みを紹介する。横浜国立大学の国際戦略においては、一面では、欧米先進国の優れた大学との研究交流を通じて、研究者そして学生の成長、研究成果の社会還元、人材育成輩出という大学の基本的な役割を果たしてきている。一方で、新興国、途上国において、これからの成長が期待される大学と積極的に交流を重ね、優秀な留学生の確保と育成、卒業あるいは修了してすぐ、もしくは日本での就業経験の後に、母国へ帰還し、母国の発展を先導する親日知日人材として活躍してもらう流れをつくってきている。人文社会科学分野や土木工学分野では、新興国や途上国の地域そのものが研究フィールドとなることが多く、横浜国立大学には、それらに取り組んでいる研究者が多いことを活かし、必ずしも留学生の受け入れ教育だけではなく、価値のあるフィールドでの実践的な研究の展開、そのプロセスでの大学院学生の育成を連動させている。さらに、先進国だけではなく、世界各地の学生がひとつのキャンパスに集うことは、日本人学生にも大いなる刺激になり、彼らが、横浜のキャンパスにいながら、広い視野をもつ人材として育っていく機会にもなっている。以下では、具体的な事例をいくつか紹介する。  1989年より国費奨学金留学生の優先配置を受けている国際基盤学(従前は国際基盤工学)プログラムは、大学院で英語にて土木工学の各分野を学ぶもので、すでに100人を超える修了生を途上国に輩出している。初期の修了生は、母国の大学に奉職し、その後出世し、自分の教え子を再度、横浜国立大学に送り込んでいる。そのような大学との交流活動は、その国の土木工学分野での援助活動にも連携する。津波などの自然災害で被災した後の復興活動等でも、このようにして培ってきた人的交流が十分に活かされている。  1995年より始まった、世界銀行による社会基盤管理学プログラムは、経済学や法学分野の教員とも連携して、今でいう文理融合型の修士課程の英語による教育を実践してきている。こちらもすでに200人を超える修了生を輩出している。このプログラムでは、母国政府機関等での業務経験が必須なこともあり、多くの修了生が母国の行政実務分野で活躍している。ここで培われた人的ネットワークも、各国への技術援助の場面で大きくつながってくる。また一部の優秀な学生はそのまま博士課程後期(ドクターコース)に進学し、優れた学術論文執筆活動等で研究活動にも貢献している。  開発人類学分野では、トンガでの食生活指導や、パラグアイでの農村女性社会進出支援をはじめとした活動において、横浜国立大学学生が教員とともに現地で中心的な活動を実践している例がいくつかある。現地での本学への信頼度はきわめて高く、このことがきっかけとなって、国レベルの開発支援活動や、現地技術者の日本での研修受入れ、さらには大学院進学などにつながっている。  2017年から、横浜国立大学では、必修科目の英語のプログラムの中に、自立英語という枠を設け、そこでは、全学生数の1割を占めている外国人留学生に講師になってもらっている。必ずしもネイティブではない、むしろ、アクセントやイントネーションが相当に独特な、それでも流暢な英語のシャワーを浴びた日本人学生は、かなり困惑していたようでもあった。しかしながら、次の世代の若者が身に着けるべき英語力は、国際的なコミュニケーションの場での英語力でもあり、オーセンティックでない英語でもたじろぐことのないいわば胆力でもある。途上国出身の留学生は、このようなかたちでも、日本人学生の国際的な視野を広げ、心を強くするプロセスに貢献している。一方で、なにかと日本で不便な生活をしている留学生を支援する日本人学生有志のサークルも存在している。そのうちの2つは、国際担当副学長が公認することで、その活動の存在感を高めている。  学内のそれぞれの先生が研究室運営でもさまざまな工夫をしている。途上国に関わることが比較的多い、大学院都市イノベーション学府の中の例として、筆者の属する、交通と都市研究分野を紹介する。当研究室では、2020年9月時点でいうと、4名の教員に対して、所属学生(学部4年生および大学院生)が全体で約40名いて、そのうち3分の1が外国人である。国の内訳でいうと、中国、モンゴル、ベトナム、フィリピン、タイ、ミャンマー、インドネシア、バングラデシュ、フランス、ブラジルというラインナップになる。いわゆるゼミを英語で行い、日本人学生の英語での発表を、いくらか年長の外国人がサポートする。ゼミ後はサバイバル日本語のレッスンで教師役と生徒役が逆転する。そこには政治や文化、そして宗教や食生活習慣の違いからおこるさまざまな問題もあるが、知恵を出し合いながら切り抜けている。途上国の都市交通のシステムに、制度のいい加減さや安全管理の杜撰さとともに、地域のニーズにあった柔軟性や、効率的な運営能力を学び、その知恵を、疲弊した日本の地域交通に生かそうとするような研究提案も学生から出てくる。横浜市とアジア開発銀行で開催した途上国開発支援に関するイベントでも、当研究室の日本人学生がワークショップで大活躍し、アジア開発銀行の専門家を前に、途上国でのスマートシティのあり方について意見交換を英語で行ったこともある。日本が被援助国になにかを提供するだけではなく、日本人学生も大きく成長し、その意味で、双方向のやりとりができていると理解できる。筆者の研究室をはじめ、途上国にかかわることの多い、横浜国立大学大学院都市イノベーション学府の多くの日本人学生修了生がたくましく育っている理由のひとつがここにある。直接的にインフラ建設を行っているわけではないが、大学は、多様なかたちで、広い意味での国際協力に貢献しているといえる。 4 新型コロナウイルスの影響を受けて  2020年2月頃から本格的に影響しはじめた新型コロナウイルスは、前項で述べたような大学での教育研究活動に大きく影響を与えている。  横浜国立大学の場合は、卒業式や入学式の中止にはじまり、春学期を5月開講8月閉講とし、全ての科目を遠隔授業とした。2021年2月および3月に実施予定だった個別学力試験を取りやめ、共通テスト(従前のセンター試験)の成績をもとに合否を判定することも早々と決定した。地方から上京したものの大学キャンパスに一歩も足を踏み入れることもなく、緑あふれるキャンパスで友達をつくることも、先生や仲間と白熱した議論を直接かわすこともなく半年が過ぎている。  受け入れる予定だった留学生が来日できないばかりか、一時帰国していた留学生の再来日もできなかった場合がある。この状況下で帰国しようと思っていてもできずに、泣く泣く日本に残っている学生もいる。また交換留学を夢見て準備をしていた日本人学生の短期交換留学が中止になり、その他にも、1週間等の短期間の海外派遣プログラムも全て中止となった。授業だけでなく研究室のゼミもすべてウェブ会議システムを用いたものとなってしまった。夏前になってようやく、必修科目の実験等において、十分に対策を講じた上で、大学の許可を得た場合については、学内での対面による教育の実施が認められたところである。教員の海外渡航も原則的には実施できず、従来型の国際交流活動はすべて停止している。  一方で、やむにやまれぬ状況下で、ウェブ会議システムは一気に普及した。どのような場合でも、とはとても言えないが、少なくとも、一度は会ったことのある間柄では、オンラインでの打合せは十分に可能である。インターネット環境が整っていれば、北米でも南米でも、欧州でもアフリカでも、もちろんアジア各国でも、ウェブ会議システムによって打合せをすることができる。筆者も、昨夏に乗り継ぎで十時間あまりかけて赴いたウズベキスタンのタシケント土木建築大学とオンラインで打合せをすることができた。また、いくつもの会議が対面でもオンラインでもなく、書面にて実施され、多くの場合で全く不都合は発生しなかった。録画した教材を繰り返しみることのできるオンライン授業のおかげで、朝がとても弱い学生が無事に単位を取得できたとか、引っ込み思案で大教室での授業聴講が辛かった学生が、なんなく15回の授業に参加できた、というような報告も届いている。なので、コロナ禍というように、全てが「わざわい」というわけでもないのが現実であろう。  飲食店等のアルバイトができなくなって、生活に困窮している学生も際立つようになってきている。幸いにも、多くのOB・OGから寄附金をいただくことができ、それを原資とした学生支援活動も行えているところだが、対応が十分かと問われると若干心許ないところもある。  多くの識者が述べているように、最終的には、業務活動はかなり効率化し、わざわざ召集しなくても済む会議は書面決裁となり、議論が必要なものもその多くはオンライン会議のままとなり、どうしても対面が必要という理由があるものが、感染対策に十分に配慮した上で、対面で実施される。このプロセスを経て、書面型、オンライン型、対面型を使い分けて、もっとも社会的な効果が高く、効率性の高い、そういうバランスが求められていくと思われる。国際交流にかかる海外大学との調整でもウェブ会議システムで間に合う場合が増えていく。横浜国立大学では例年2月に実施していた上海での社会研修について、参加者が日本にいながら、どこまで同じだけの質で実践できるか、大がかりな冒険の面もある。  まとめるならば、新型コロナウイルスの影響をさまざまなかたちで受けてきた結果、従前と同じような国際交流や国際協力を継続することは現実的とは言えない。一方で、情報通信技術の発展の恩恵を直に経験できた結果、オンラインでの交流や技術支援など、いままではやってなかったことができるようになり、多くの場合、物理的な距離の壁や時間の壁、それに伴い、家族の事情等の制約の壁も越えたかたちのやりとりができるようになった。この経験をいかに取り込んで、リアルの交流の場面の効果をより大きなものにしていけるか、我々の知恵と力量が問われているといえる。 5 おわりに:これからの展望と大学の役割  先進国のあとを途上国が追いかけていく、同じ順序で発展していく、というモデルはとうの昔に通用しなくなっている。例えば、筆者が住んでいた1992年にタイでは携帯電話が普及していた。固定電話の整備に時間を要する中で、固定電話を追い抜いて携帯電話が先に普及した。同じ頃日本では、携帯電話は全く普及していなかった。また、別の例で言うなら、近年インドネシアのジャカルタで普及しているオンラインオートバイタクシーは、アプリでの予約ができるほか、自宅の清掃や買い物などの生活支援サービスもこなしてくれる。日本のタクシーが、このコロナ禍でようやく貨客混載をほんの一部の地域で試行し始めているのとは大違いである。情報技術の普及が、いろいろなかたちで、ものごとの発展の順序の前提を壊している。今後さらに壊れていくと想定される。そのような状況下で、我々が、国際協力の枠組みの中で、誰になにを伝えていくべきか、そして誰からなにを学ぶべきか、根本の真理が変わることはないとは思うものの、表面的には大きく変わっていく。技術の支援の方法も、研修の方法も、それらを通した人材育成の方法も、情報通信技術を活用して多様化していく。近未来的に3Dプリンターが普及すると、技術指導の場面も大きく異なってくる。パソコンの計算処理速度は間違いなくさらに進化し、各種の通信速度もその容量もまだまだ拡大する。それにあわせてバーチャルリアリティ、仮想現実を通した学びも大きく変化する。  大学は、そのような技術の最先端とつながるようにみえるが、あくまで最先端であって、その社会実装や普及のプロセスを得意とはしない。一方で、古典的な内容も含め、考え方、ものの見方を通して、多様な人材との交流を通して、ものの見方、考え方、視野の広げ方を磨き上げていくことには長けている場合が多い。  横浜市のこれからの国際協力活動においては、上記のように、情報通信技術の著しい進化を、可能な限り先取りして、途上国だからこの程度でよい、あるいは、途上国なのだからこれは不要、といった狭い見方ではなく、現地での時代の流れの文脈をきちんと読み取って、学べるものはむしろ学びながら、現地に貢献していくという基本姿勢を守り抜くことが望まれる。その中で、横浜国立大学をはじめ市内の多くの大学が、人材を鍛えぬくこと、行政や民間企業ではやりえない部分で、時に急先鋒となり、時に古典を学ぶ殿堂となり、若い学生のエネルギーを最大限活用して、国際協力にかかわっていくことが望まれる。  繰り返し述べるが、このいわゆるコロナ禍での経験は、この先の国際協力そのもの、そしてその中での行政の役割、大学の役割に大きな影響を与え得るものであり、筆者を含め、関係者は、研ぎ澄ませた感性で、時代の変化を読み取り、リスクを回避しつつ、果敢に挑戦していく心意気をもつことが要請されていることを確信する。