《9》JICAから見た横浜市の国際協力 @東南アジアに長期的なまちづくりの神髄を 執筆 田中 寧 JICA緒方貞子平和開発研究所顧問 はじめに  低気圧が近づいているのだろう。降り始めた雨の中を長蛇の列がいつ来るとも知れないバスを待つ。渋滞で車列は一向に動かず、雨に煙る街にクラクションがけたたましく鳴り響く。  東南アジアの大都市は混沌の中にある。マニラを縦断するエドサ通り、都市鉄道MRT3号線とLRT1号線が交差するタフト・アベニューに降り立つと、むせ返る熱気と喧騒の中をうごめく人と車に圧倒される。都市は富を生み出す成長のエンジンであり、ダイナミズムの源泉である一方、無秩序な膨張は持続可能な成長を脅かす。東南アジアの都市は貧困、格差、食糧、水、エネルギー・環境など今日のグローバル課題を凝縮する。もとより沿岸部に広がる東南アジアの大都市は気候変動の脅威に直面する。そして今、新型コロナウイルスの感染拡大が公衆衛生を意識した安全、清潔なまちづくり、都市の集積と分散のバランスなど新たな課題を突き付ける。日本と東南アジアは緊密な相互依存関係にある。この地域の持続可能な発展は日本の繁栄に直結する。東南アジアの都市問題の解決は日本にとっても緊要な課題である。 環境共生の胎動  自由貿易と投資を原動力に東南アジアは目覚ましい発展を遂げてきた。これまで経済成長に必要な電力や道路、港湾等が優先され、下水や廃棄物など環境インフラは後回しにされてきた。増え続ける人口に都市交通の整備も追い付かない。高層ビルの建設ラッシュは弛むことなく進み、都市を圧迫する。しかし、台頭する都市新中間層は快適で住みやすい街を切望するようになり、国家リーダーも彼らの声をもはや無視できない。今、環境共生志向の萌芽を感じる。静脈産業に本格的な商機が訪れよう。但し、国民全体の意識はまだ低く、財源やノウハウも不足する中、問題は環境と調和する持続可能な都市をいかに造り上げていくかだ。 横浜市とJICA アジアの環境都市を創造する  忘れえぬ秋の日。2011年10月、JICA緒方理事長(当時)は横浜市を訪れた。そして林市長と包括連携協定が締結された。私は夢中でシャッターを切った。狙いは公民連携を通じた都市問題解決という新しいチャレンジである。緒方さんは横浜市は大事なパートナー、ぜひ連携を進めましょうと自ら旗を振った。  アジア新興国の都市問題は多様化・複雑化し、日本の民間企業の優れた知見・ノウハウを活かすチャンスに満ちている。産業構造や系列のあり方が変容し、下請け企業から脱却して新興国市場に果敢に挑戦する中小企業は少なくない。横浜市とJICAの連携はこうした意欲ある企業の海外展開を後押しし、企業の創意を駆使して、アジアの都市問題を解決することにある。  それではなぜ自治体が大きなカギを握るのか。かつてインドネシアで省エネのためのスマート・メーター導入を仕掛けた時に苦い体験をした。売り込みを行った日本企業からインドネシア側は大変乗り気であるとの報告を受け、楽観視していた。しかし、この地によくある社交辞令で本音は全く逆であった。技術水準が高すぎて使いこなせない、コストが高い、我々に合っていないと。 都市経営ノウハウがカギを握る  都市問題は複合的に絡み合い、途上国の自治体の首長は縦割りではなく、総合的な解決策(ソリューション)を希求していると感じる。これは地方行政を実際に担い、市民参加や企業との連携などを通じ、様々なステークホルダーを巻き込み、複雑な利害を調整し、また、市民のニーズを掘り起こし、苦情にも粘り強く対応し、苦労を重ねてきた自治体に帰属する都市経営ノウハウである。  こうした現場の行政体験は同じ悩みを抱える東南アジアの都市に説得力あるメッセージとなる。自治体同士が親密なパートナーとして同じ立場・目線で話し合い、悩みを共有し、住民参加、条例制定、人材育成、企業の技術・ノウハウをパッケージにしてソリューションを模索・提案することが大事だ。例えば、深刻化するごみ問題には高性能の焼却施設が有効であるが、途上国の財政ではコスト負担が容易ではない。市民を巻き込んだごみ減量や廃棄物発電(waste to energy)の導入など総合的なソリューションが求められる。一見迂遠だが、日本の技術がソリューションの一部として価値を発揮できればビジネスチャンスにつながる。まちづくりのバリュー・チェーンを構築し、そこに日本企業のテクノロジーを組み込むわけだ。横浜とフィリピン・セブの連携は都市間協力のモデルである。横浜市企業の活動につながっていることは大きな成果だ。セブはアジア有数のリゾートであると同時に人口200万人超の同国第2の都市圏である。美しいビーチの背後には市井の人々の暮らしがある。廃水やごみ問題は深刻であり、成長と環境が調和する都市開発が必要だ。一般に途上国の都市開発には長期的な視点が欠落していると感じる。セブでビジネスを展開する地場企業のトップから、市長が変わると政策やインフラ計画が一変する、近隣地域との調整に明け暮れ整合性ある都市開発が進まない、日本ではなぜ都市計画が着実に実行されるのか、なぜ市民社会が主体的にまちづくりに協力するのかと悩みを吐露された。民間企業の切実な思いであろう。横浜市の「6大事業」は長期的な都市開発を体現する優れた手本である。みなとみらいは途上国の人の視察定番コースにふさわしい。ショッピングモールのアトリウムを貫くエスカレーターから眼下にみなとみらい駅の地下ホームの車両を見下ろす景観は圧巻である。今、東南アジアは地下鉄など都市交通整備の黎明期にある。こうした都市交通とまちが一体化した機能的な都市空間に大いに触発されるだろう。 横浜市への期待―アジア発の国際環境都市に  今日、世界の様々な都市が環境都市を標榜する。これは行政、市民、企業、大学、NPO等が長い時間をかけて醸成したものであり、一朝一夕には成立しえないブランドである。市民の高い意識に支えられ、横浜市には環境都市のDNAが息づいている。今、欧米の環境都市が世界を席巻するが、東南アジアは文化、気候・風土、自然災害の多い国土など日本と類似点が多い。国民はアジア的なウエットな精神を共有し、何よりも日本に信頼と憧れを寄せている。東南アジアの都市問題の解決は日本がリードできるはずだ。横浜市にはアジアの人々が信頼し、憧れる国際的な環境都市のブランドに磨きをかけてほしい。  横浜市の国際協力が果たす役割は大きい。その恩恵を受けるのはアジアの発展をけん引する都市中間層である。彼らはより質の高い住環境、食の安全、栄養、保健・医療、健康・スポーツ、教育等へのニーズを貪欲に高めていく。環境ビジネスに止まらず、幅広い人・モノ・情報のアウトバウンド、インバウンドのプラットフォームになるはずだ。彼らのライフスタイルに横浜ブランドを根付かせるチャンスである。日本の成長にはアジアとの共生が不可欠であり、国際協力はその端緒を開くだろう。今、脱炭素化が世界的な潮流であるが、エネルギー需要が増加する東南アジアのハードルは高い。脱炭素化の主舞台は都市である。彼らがどのような社会を目指すかを踏まえながら、産官学の知を結集し、技術・資金協力により後押しすることが大事だ。脱炭素社会への移行は新たな商機を生み出す。アジアの都市間協力を横浜市の成長戦略の要に据え、アジア共生の旗手になってほしい。 むすびに  パンデミックの今、公衆衛生の礎を築いた先人たちの偉業に思いを巡らす。横浜市で行う水道分野のJICA研修に参加した途上国の研修生はまず、横浜水道100年の歴史のビデオを目にする。それはコレラの流行を機に英国人技師H.S.パーマー氏を顧問に迎え、相模川の上流に水源を求め、1885年、近代水道の建設に着手し、1887年に完成したことを伝える。資金、技術が著しく不足していた100年以上前の日本で当時、経験のない衛生的な近代水道の建設を決意し、海外から技術者を招聘し、大工事を断行した横浜水道の歴史は先見性に満ち、途上国の国づくりに大きな示唆と勇気を与えよう。  横浜市Y-PORT、横浜ウォーターの皆様との出会いは私の財産である。海外出張を共にし、また、幾度となく新興国の都市づくりについて議論した。横浜ランドマークタワーの展望フロアでは、半世紀以上前、横浜中心部に建設する高速道路をあえて地下化した逸話を熱く語っていただいた。こうした長期的なまちづくりの神髄を都市問題に悩む東南アジアに伝えてほしい。  セブ市のラマ市長(当時)との出会いも忘れられない。2011年、彼の執務室を初めて訪ねた時、横浜市との連携構想の意義を瞬時に理解した。部下を連れて来日した時には意気投合して横浜市の皆さんと一緒に料理屋で歌い踊った。セブは海洋都市である。ITを軸にイノベーションを喚起するまちづくりを目指す。空は青く、海はそれ以上に青い。これを次世代に継承しなければならない。そして今、彼の言葉に思いを馳せる。「セブをこの国の環境都市のショーケースにしたい。横浜から学ぶことはたくさんある。いつかきっとセブを横浜のような、あるいはそれ以上に住みやすい街にしたい。」