《17》現状の課題と今後の展望 B 対談/横浜の課題と今後の展望 涌井 雅之 東京都市大学特別教授 野村 宜彦 環境創造局長 − 本日は、横浜の緑の取組について、過去のことや現状の課題にも触れていただきながら、今後の展望について、いろいろと未来志向でお話をしていただければと思っています。よろしくお願いします。 ■横浜の緑のこれまでの歩み 【野村】涌井先生とは、昨年、横浜の環境行政について意見交換をさせていただきました。その際も本当に貴重なご意見をいただきましたが、私が何よりうれしかったのは、先生が横浜の過去の環境行政の経緯について非常にお詳しいということでした。私たちよりも先生の方が詳しいかもしれません。 【涌井】いえいえ、そんなことはありません。(笑) 【野村】ご存知のように、横浜は戦後から急激に人口が増加し、これは国内の三大首都圏は同じような状態でしたが、特に横浜は何もないところで増えたという意味においては、ほかの都市にないぐらい劇的な変化があったと言えますし、そのような急激な人口増加は必然的に土地の形態も変えていくということになりました。そして更に、それに伴って、環境だけではなくて、ごみの処理のことですとか、河川や海や水質の悪化であったり、学校などの公共施設・用地が不足するなど、様々な弊害が生じました。そういう中で、多くの先人の努力で何とか緑の喪失を食いとめるために、減るけれども減り方を少しでも下げていきながら、緑をつくり、緑を残すということも横浜市として行ってきました。そして、その流れの延長線上で、平成21年からは、超過課税である横浜みどり税をいただくという形でこれまで10年間、取組を続けてきました。  今回、次の5年間のみどりアップ計画は固まったのですが、ではこの先10年、20年先の緑をどうしていくのか、考えていく必要があります。また、現在、国際園芸博覧会の招致、あの上瀬谷の242haもの広大な土地をどう生かしていくかという課題もあります。横浜の緑施策をどう生かしながら、今住んでいる374万人の市民の皆さん、そして今の赤ちゃん、子どもたちに良い環境を残してあげられるよう、政策の継続をぜひ進めていきたいと思っています。そのような意味で本日はお話をさせていただければと考えています。 【涌井】分かりました。私の目から見ると、これからグローバリズムの中でどう横浜が生き残っていくのかということは非常に重要なテーマです。国と国の競争というよりは、これからは都市間競争の時代になるということです。森ビル財団が世界の都市間競争の中で国内編というのを日本で初めて行いまして、横浜は5位でした。なぜ5位なのかというのを見ていきますと環境値がポイントとなっています。環境値がもし望ましい方向になれば、横浜は必ず1位になる可能性がある、そういうことではないかという気がしています。  局長のお話にもありましたが、横浜の歴史をかいつまんで言いますと、さまざまな開発圧の中で一旦、人間に例えれば裸になりかけた。そのときに、横浜市は非常にいろいろと考えて、緑のマントを羽織ったということです。ちょうど横浜駅、あるいは横浜港を中心に、そこが首だとすれば肩のところに当たる崖線の上に10大緑地という緑のマントを羽織った。緑の防波堤を見事に回していきました。  また、今度の「みどりアップ計画」を拝見しますと、まずは樹林地、そして農、そして市民が親しめる花・緑、こういう順で挙げられています。順位は関係ないかもしれませんが、おのずとそこに横浜が抱えている苦悩と、同時に戦略と、そういうものが隠されているように感じました。他の自治体を見ていきますと、公園緑地は公園緑地、農林は農林、こういう分け方なのですが、横浜はそれを戦略的に見事に一体化して、シームレスな条件をつくったというのが、私は他の自治体にはないことではないかと考えています。  それと併せて横浜の歴史を振り返れば、横浜は日本で最初に欧化をした地域です。その欧化をした地域の中で、近代公園制度というものが実質的に街の中に投影してきたということは事実ですし、彼我公園(注1)、港の見える丘公園、そして関東大震災のときには大変な被災をしたわけですが、その残渣で山下公園がつくられました。言ってみると、いろんな苦難を乗り越える都度、実は緑というものに着目をしてまちづくりをしてきたということがあるわけです。  ですから、数字の上から見れば、確かに横浜はまだまだ考えていかなければいけないところがありますが、実は迫り来る津波の勢い、開発圧という津波の勢いの強さというものを考えれば、実に健闘していると認識しています。しかも、そうした横浜を愛していこうという気持ちが横浜みどり税につながって、具体的な施策を一つひとつやり上げてきた。そして、いつも市民、市民協働がそのエンジンになっていることは非常にすばらしいと思います。実は「緑の都市賞」の審査をしましたが、内閣総理大臣賞はご存じのように鶴見区の「みどりのルート1」(注2)でした。 【野村】あれはすばらしい取組ですね。 【涌井】あの鶴見区の「みどりのルート1」を見たときに、決して華々しくはないのですが、あの過酷な条件で市民の方がダンプカーやトラックのそれこそ圧力に押されながら、わずか30センチや20センチの隙間を見つけてはそれを緑でつないでいき、同時に様々なファーストフード店であるとかレストランがそうした動きに協力して、また地主の方も協力して、一連の緑のネックレスをつくったというのは本当に高く評価すべきものでした。それで内閣総理大臣賞となったわけですが、そういうことも含めて考えていけば、やはり横浜のレジスタンスというか、迫り来る圧力に対して市民がエンジンになって、市が幹事役、調整役になっている。農家の減少率や農地の減少率もここへ来てかなり平衡状態になってきたというようなことを考えても、なるほどこれまでの横浜市の施策は有効だったのだと感じています。 ■横浜の緑を残す〜市民力と戦略と 【野村】ありがとうございます。何か褒められてばかりで恐縮してしまいますが、ご指摘の部分、特に市民力という部分と、戦略的な視点でどうやってこの巨大な人口を抱えている横浜の中で緑を残し続けるのかということについては、悪戦苦闘しながらもこれまでの流れを壊さないように、私たちも頑張ってきたつもりです。そして、これからどういうふうに緑の取組を進めていくかということについては、実は課題認識も相当持っていますし、課題があるからこそ、横浜市の「中期4か年計画」の戦略の中で、『花と緑にあふれる環境先進都市』を掲げています。そのことについて一番認識を強く持って私たちをリードしてくれているのが林市長ですが、横浜市政の歴史の中で、環境を前面に出して打ち出したのは実はあまりなかったことだと思います。そしてその裏返しで言いますと、こうした旗印を立てていかないとなかなか進まないという現実があるということかもしれません。例えば、横浜みどり税は全員がウエルカムでは必ずしもなくて、実は知らない方もいらっしゃると思います。ですから、これはどこの自治体も同じかもしれませんが、緑の大切さ、必要性をどうやって知ってもらうかが私たちの最大の課題であると捉えています。小さいお子さんからご高齢の方、子育てで忙しい方、いろんなライフステージの中で、緑の大切さ、取組を理解し、共感し、行動してもらうことが私たちの最大の課題の一つだと思っています。その面では、みどりアップ計画でも市民力といいますか、そういった点は大切にしています。 【涌井】しっかり位置づけていますよね。 【野村】はい。もう一つ、別の切り口になりますが、残している緑をどう維持するかという管理の問題があります。緑も生き物ですので放っておくとどんどん劣化もしますし、人間と同じで手入れをしないと里山もいいものにならないです。手入れをする、森林の保全という課題が、横浜にもあります。民有地か市有地かは別として、そこの緑をどう残すか、どう維持するのか、樹林地だけではなく、実は街路樹も公園もそうです。横浜には2,700近くの公園がありますが、その公園の緑が20年、30年経つと巨木化し、それをうっとうしいと感じる人もいらっしゃるようです。 【涌井】難しいですよね。緑はほしいけれども、落ち葉は嫌だと言う人もいらっしゃいますし。 【野村】そのような人たちも、夏の暑い日には無意識に木陰で話をしているかもしれません。基本的なことを知っていただくという中には、木陰があることの大切さ、そうしたことも重要な要素としてあるかもしれません。  もう一つは緑の意義ですが、やはり郊外、人口がそれほど多くないところの樹林地の役割と、市の中心地での役割とでは重みが違う部分があるように思います。緑が晴れている日の安らぎの場になるだけではなくて、ひとたび大雨が降ったときには、その下流への流れを緩やかにする役割を果たしたりします。15年前になりますが、平成16年の台風のときに、帷子川は分水路が完成していたので大丈夫だと思っていましたが、10月に2回台風が来て、台風18号のときに帷子川がオーバーフローして横浜駅が浸水して、地下室が水で埋まってしまうということがありました。地下街には入らなかったのですが、あのときに一人でも地下室にいたらと思うとぞっとします。 【涌井】鶴見川は、日産スタジアムのところでかなり大きな調整のための遊水池がありますが、帷子川はそういうことが土地利用上からできないですものね。 【野村】そうですね。横浜駅周辺については別ルートで水を運んで海にポンプアップして出すという新しい考え方を下水道の方で進めています。併せて、上流域で緑を残すということでこの街をしっかり守る、私たちの日々の生活を守っているということをグリーンインフラ(注3)という概念でしっかりとつないでいこうと思っています。18の土木事務所の職員とその話をしていたら、彼らの発想で、身近な公園の中に保水・遊水性のあるようなものを入れたり、歩道の中にそれを入れたり、いろんなアプローチで取り組んでくれています。 【涌井】みなとみらい地区でも取組をしていますね。 【野村】はい。グランモール公園の再整備で行いました。このような取組を市民の皆さんにお示しして、水のたまり具合の違いを実感してもらえればと、そんなこともしています。 ■横浜の課題 【涌井】わかりました。先ほど私は横浜市にエールを送りましたが、課題についてのお話がありましたので、課題のところでは少し厳しめなコメントを述べさせていただくかもしれません。  先ほどもお話をしましたが、横浜市の努力は多としながらも、やはり国際的な都市間競争の中でどう打ち勝っていくかということについては、これ以上緑を減らさないということが一つ。それからもう一つ付け加えておくならば、それは横浜の脆弱さへの対応です。緑の創生ということについてはかなり熱心に取り組んでいることは確かですし、特に海岸部、港湾部については大変な努力をしている。自然の緑のみでなく、人為的に公園緑地で緑の量を増やしているということもしていますが、実は横浜というのは一面では非常に脆弱と言えます。その脆弱さというのは、一つは内陸からの水の圧力、それからもう一つは、震災時の海からの水の圧力、この二つをまともに受けるという可能性があるということについて私は懸念を持っています。  緑の効用というのは二つに分かれるのですが、一つは言うまでもなく市民の皆さんが日常の生活を豊かにする、ライフスタイルの展開の場としての「利用効用」。しかし、もう一つの隠された効用が実は重要で、それは一体何かというと、普段は気がつかないんですが、何かのときに初めてああそうかと思う「存在効用」。この「存在効用」と「利用効用」がいかに共存するのかということが私は非常に重要だと思っています。先ほど農林地の話がありましたが、それはまさに横浜市が「存在効用」ということに着目して、その戦略的な効果というのを十分認知しているということだと思います。  それからグリーンインフラについてですが、これからのインフラは、官・公がつくっていくインフラというのだけでは事足りない。そのインフラに市民が、自らの生活基盤だという認識を持ってその維持に参加していくのかということがすごく大事ですし、将来の市民の義務につながっていく可能性もあると思います。市民という言葉は、城壁の中に逃げ込むことができるのが市民の権利で、そのかわりに、城壁の中に一旦逃げ込んだらみんなが敵と戦うという義務が課される。そういう意味を持っていました。  今、迫り来る地球環境の悪化というものは、自分たちのライフスタイルの延長線上にあります。跳ね返すというのが「緩和戦略」(原因となるものを削減する)、備える戦略というのが「適応戦略」(影響を最小限に抑える)とすると、これからどのように「緩和戦略」から「適応戦略」に切り替えていき、その戦略を自分のライフスタイルそのものの中に備えていくということが必要だと思います。例えばごみ問題にしてもそうですし、ありとあらゆる問題が「適応戦略」の方向に行かなければだめだと思っています。そういったときに、やはり横浜にある農地、樹林地も含めた緑というのは、それらの「適応戦略」の大きな戦略的素材となります。しかも、横浜の場合には、そこに市民協働というものがこれまでもありますので、これを社会システムにしていってコミュニティの連携や、人と人のつながり、自然と人とのつながり、そして緑は結び手という考え方、要するにその結節点を束ねていくという機能を持つことがグリーンインフラの非常に重要なところではないかと思っています。そうでないと、横浜の脆弱性をカバーするというところもなかなか動いていきません。  横浜では下水道を先進的に74ミリに替えているところもありますが、市全体をそうするには財政が追いつかないと思います。そうであるとすれば、自宅の中の雨水は自分の自宅の庭で処理しようとか、様々な形でもっともっと積極的にそういった施策を講じていくべきなのではないかと思います。それが一つのモデルになって、全米で最も住みやすい都市と言われているのはご承知のとおりポートランドです。横浜市はピースランタンの縁でポートランドとは非常に縁があるようですので、モデルにしながら考えていくこともできるかもしれません。  緑をコミュニティの核として、緑はコミュニティの再構築に「存在効用」として非常に大きな役割を果たすと思いますし、結び手という一つの力を発揮するのではないかと考えています。横浜市には、ぜひ全国のグリーンインフラ政策のモデルになっていただきたいというふうに希望します。 ■祭りは平時の防災訓練 【野村】ありがとうございます。そういう気持ちで取り組んでいます。  実は先生もご存じのとおり昭和30年代に地域の公園は地域のもの、地域の財産なんだということで全国で初めて、横浜市で公園愛護会ができています。長い歴史の積み重ねもあり、会の結束力もありますが、高齢化ですとか、次の世代が入ってこないとか、そういう悩みもあります。先ほど冒頭にお話をしましたが、緑地の保全も、そこを守ろうというNPOの皆さんや地域の皆さんがたくさんいらっしゃって、それで緑地管理の計画をつくって行ったりしています。これを更にグレードアップするにはどうしたらいいのか、そのためのコーディネート役として横浜市は何をすればいいのかということを何年も議論を重ねながら進めています。グリーンインフラという言葉は全く使っていませんでしたが、みんなが支えるインフラだということで、同じことをやってきているように思います。 【涌井】昔話に必ず出てくる、「おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」は、これは世界最古の環境教育だと私は言っています。なぜかというと、腰痛や関節の痛みに悩まされたおじいさんが、それでも毎日山に行って手を入れる。おばあさんはあかぎれや神経痛があっても冷たい川に入って毎日洗濯をしている。これは一体何かというと、日本の自然、とりわけ里山は手を入れることが重要で、この手を入れることが再生循環の大きなエネルギーになる。毎日洗濯しているのは、湿潤な風土だからすぐに病気になりやすい、衛生条件も保たなければいけないから。だから子どもたちもおじいさん、おばあさんを助けなさい。これが教え、まさに教訓です。先ほども緑は結び手と言いましたが、グリーンインフラは社会システムであるべきで、インフラであるがゆえにそこに参加ができ、おじいさんが山へ柴刈りに、おばあさんが川へ洗濯にという話と一緒で、個人の幸せも共同体の幸せも、その部分はニアリーイコールで共有できるものです。社会的価値を共有できることがすごく重要ですし、人と人とが緑を介してつながることによって、例えば高齢者の見守り、あるいは犯罪の防止、防災の対応など、そうしたものにも必ずつながっていくと思います。私はいつも、「祭り」は防災の日常の訓練、平時の訓練なんだと言っています。つまり、その狭い路地にあれだけの人が集まることはない。あれだけの大きなものが動き回ることはない。「祭り」という異常事態をつくり出し、それを経験することによって、それを安全でしかも問題がないように、地域の人たちがみんな役割を担ってその「祭り」を催行するわけですよね。ですから、「祭り」はある種の平時の防災訓練というふうに私は言っています。しかも、「祭り」は自然をリスペクトするということにも非常に密接です。 ■国際園芸博覧会に向けて 【涌井】上瀬谷での国際園芸博覧会の話にも少し触れておきたいと思います。グリーンインフラや、緑が結び手となること、例えば都市経営ということを考えたときに、今までのアーバニズムの延長線上でのアーバンプラン。つまり、上位計画がありきで、それに基づき下位計画を決定するというプロセス。具体的には、広域的な都市圏、そして都市、街区、街区から近隣区というふうに上からずっと順序立てて計画するのが常識でした。なぜならば、都市は生産拠点であり、それに即した合理的形態を持つ必要があったからです。しかし、果たしてこれからの都市計画はそうした上位から下位へといったアプローチでよいのでしょうか。暮らし、そしてライフスタイルの中からビジネスが生まれるという時代に。であればこそ、多様な個性豊かな近隣の秩序ある集合体。それも、個性を持ちつつも社会的共通価値については通底している。ある種にライフスタイル・コンセプトに基づいた都市の姿が望まれるのではないでしょうか。多様性を尊重し、バードアイではなくてフィッシュアイ、場合によるとドッグアイの視点からこれからの都市経営を考えることが、暮らしの上の魅力や、創造性を重視した都市の姿を生み出し、それがやがては経済力にもつながってゆくような都市像が思い浮かびます。近未来は、少子・高齢現象に晒されて厳しい財政事情が続かざるを得ないと予見されます。また、そのほかにも多くの社会課題に都市が晒されることでしょう。それに対して公共の力だけで、個々の課題に対応するということは無理があると思います。市民が、先ほどお話しした権利と義務に目覚め、ある範囲の社会資本の維持や更新にまで、自分の属性としてのそのまちを愛すればこその内発的責務から都市に対し責任ある行動をとり、且つ担う。そうした契機に緑を位置づけ、新たな市民活動の原型。楽しみと共に自らの都市を愛する故の行動モデルを花や緑を媒介に展開していく。これを上瀬谷において何かできないものかと思っています。しかも上瀬谷には広大な優良農地があります。これまで農地と都市は彼我の違いほどの距離がありました。私たちにとっては、食料供給の機能としか捉えられていませんでした。しかし、これからの時代は、必ず自然界のリアリズムに溢れた農的な生活と、IOTが介在したバーチャルな都市生活の双方がともに大切な時代となることが何となく予見されます。あのエネベザードハワードがおよそ100年も前に田園都市論で述べた「都市の矛盾、農村の矛盾がない田園都市」こそが、コンパクトシティと併存する新たな郊外の役割ではないでしょうか。そこに生産緑地法の改正、つまり2022年問題が大きな課題として我々に迫るのです。それは、農地を都市にどのように位置づけるのかという戦略的に非常に重要な問題であり、横浜にとって深刻な問題です。2022年問題を考えてみたときに、農地をきちっと緑地の体系としてどのように位置づけていくべきなのかについて、今から準備しておかないといけない問題だと思います。 【野村】非常に重要な課題ですね。 【涌井】実はこれからコンパクトシティという方向が明確に出てくると思っています。つまり都心集約型の人口形成になっていくということですが、横浜もおそらくそうでしょう。中心市街地の人口密度がどんどん上がっていく。それは生産性の向上のためで、それはそれでいいのですが、その結果、一方では広大な空閑地をどうマネジメントするかという課題が出てきます。そして、その土地を持っている人たちが持ち損だと思わないような、そこはそこで新たな不動産価値があるんですよというような、そういう仕組みが必要になってくると思います。場合によっては、横浜市の中心市街地に3日間住んで4日間は上瀬谷の辺りの田園居住を楽しむということだって十分に考えられます。ライフスタイルの多様化というのはそういうものを呼ぶのだろうと思います。  それからもう一つ、知財を中心にした、ものをつくるのではなくて知恵をつくるという方向に都市の機能を特化させていくことは、特に先進国の場合にはそういう可能性が非常に高いと思いますが、このデジタル的で、知財をクリエーションしていくというのは、実は大きな社会問題をもう一つ抱えることになります。それは一体何かというと、ストレス障害です。そういった経済が伸びれば伸びるほどストレス性の疾患を持った人たちが増えていく。日常の安らぎという言葉よりももっと深い意味だと思いますが、その人たちのクリエーションとかイノベーションを助けるという意味で、緑地は非常に重要になると思いますし、ひょっとすると農住的なライフスタイルというのは、すごくその人たちを助けるかもしれません。横浜市がイノベーションシティであれクリエーションシティであれ、そういう方向を目指せば目指すほど、実はこの辺りが意外に重要なサポート要因になっていくという可能性があります。  そのようなことを考えていくと、緑というものを多面的に評価し、それをグリーンインフラという言葉の中でくくって、社会システムというところまで持っていける可能性があるのが横浜かなと思っています。それを何とか上瀬谷の花博で、市民協働で新たな世界をこしらえて、協働っていいよねというのができれば、先ほどお話しした「祭り」が平時の防災訓練というところともつながりますが、祭りを通じて都市経営をみんなでどう担っていったらいいのかということにつながっていくのではないかと考えています。 【野村】ありがとうございます。先生からすごくわかりやすくお話をしていただきました。  実は私たちは、2026年の花博に向けてガーデンシティ横浜を目指す、そして、ガーデンネックレスというリーディングプロジェクトを毎年つなげながら花博につなげていくという言い方をしています。ガーデンネックレスについては、ネックレスという言葉のとおり、拠点だけではなくて、横浜市全域でつないでいく、まさに花と緑のネックレスということを言っていますので、先生のお話ともつながりますが、では現実的にはガーデンネックレスはどういうことをやろうとしているのかというと、例えば山下公園や港の見える丘公園、グランモール公園とか新港中央広場といった拠点で行っていて、拠点の間はどうするのかということがあります。全国都市緑化フェアのときは日本大通りにどーんと花をつくって、とてつもないぐらいのレベルになり、皆さんも驚いていました。 【涌井】もう二度と日本全国で緑化フェアができないんじゃないかぐらいのものでしたね。(笑) 【野村】私たちもそれで目標が高くなってしまいました。(笑) 去年のガーデンネックレスをスタートした2年目、つまり全国都市緑化フェアではないときには、あそこまでやらないまでも、日本大通りのイチョウの下に花を植えたりしたのですが、それぞれの場所でみんながプランターを置けばまさにネックレスとなり、それを全てのエリアでやればすごいことになります。 【涌井】鶴見の「みどりのルート1」ですね。 【野村】はい。例えば、それが箱根駅伝のルートに沿ってずっとあれば、箱根駅伝の選手は、何で横浜に入ると花が咲いているのだろうと思うと思います。市民が実感できる花を市民がつくる、そのような考え方をつなげていくことが、実は花博につながっていくように思います。「地域緑のまちづくり」という形でそのような活動を支援する制度はつくっていますが、もっと広げていきたいと思っています。 【涌井】国際園芸博覧会は、未来のライフスタイルみたいなものを提示できると非常によいのではないかと思っています。特にグリーンインフラでやるとか、緑の存在効用を可視化するとか、日本では利用効用はみんなわかっていますが、存在効用の可視化というのはなかなか分からない。そういうことによって新しいライフスタイル、横浜らしいライフスタイル提案ができればよいと思います。瀬谷に行くと、丹沢まで景観を遮るものが一つもないですね。冬には富士山が本当によく見えます。川もありますし、楽しいグリーンインフラ、美しいグリーンインフラで可視化ができればいいなと思っています。 ― それでは、そろそろ時間となったようです。 【野村】本日はありがとうございました。 【涌井】ありがとうございました。 (注1)彼我公園  明治9年に開園した横浜公園。外国人と日本人が共同で使用する公園であったことから、当時「彼我公園」(ひがこうえん)と呼ばれた。 (注2)「みどりのルート1」  国道1号線沿いの団体と周辺の居住者からなる「鶴見『みどりのルート1』をつくる会」が沿道約1qにわたって店舗の駐車場や壁面に緑を作っている緑化活動。第38回「緑の都市賞」で最優秀となる内閣総理大臣賞を受賞。 (注3)グリーンインフラ  自然環境が有する多様な機能を活用し、持続可能で魅力ある都市づくりを進めるための社会資本。