《11》まちづくりにおける緑 A 横浜における港湾緑地 執筆 吉村 慶一 港湾局賑わい振興課 1 導入  港湾緑地は、港湾法の港湾環境整備施設(港湾の環境を積極的に整備し向上させることを目的とし、港湾で働く人その他一般人に対し、憩いの場、スポーツの場を提供する緑地、海浜、植栽、広場、休憩所等)であり、横浜市においては、港湾局が管理している赤レンガパークや象の鼻パーク、臨港パーク、日本丸メモリアルパーク、汽車道などがあります。一方、横浜公園や山下公園などは、都市公園法で規定される都市公園で、環境創造局が管理をしています。  本稿では、横浜における港湾緑地について紹介をしていきます。 ■港湾緑地の整備経緯  昭和40年(1965年)に打ち出された六大事業の都心部強化事業のねらいは、開港以来の都心である関内・伊勢佐木町地区と高度経済成長期から急速に都市化した横浜駅周辺地区の一体化と再整備にあります。二つの都心にはさまれた臨海部には、高度経済成長期に活躍したふ頭や造船所がありましたが、それぞれの機能を廃止又は移設し、跡地に業務施設をはじめとした都市機能を集積させて、二つの都心を一体化・強化しようとしたものです。  昭和48年(1973年)の港湾法改正では港湾施設に海浜、緑地、広場、植栽、休憩所等の港湾環境整備施設が追加され、国の補助金が使えるようになりました。  そして昭和58年(1983年)に着工したみなとみらい21事業で、昔からある港の施設、遺構を資産として保存・活用することで観光地としても魅力的な市街地になるように日本丸メモリアルパーク(昭和60年(1985年)一部供用開始)、臨港パーク(平成元年(1989年)一部供用開始)、赤レンガパーク(平成14年(2002年))及び象の鼻パーク(平成21年(2009年))などの港湾緑地を整備し、市民が憩い、親しめるウォーターフロント空間をつくってきました。 2 赤レンガ倉庫と赤レンガパーク  赤レンガ倉庫は、明治末期から大正初期に国の模範倉庫として建設されたレンガ造りの歴史的建造物です。創建当時から横浜港の物流拠点として活躍してきましたが、船舶の大型化・コンテナ化に伴い物流機能が他のふ頭に移り、倉庫としての役割が低下していく中で、昭和50年代以降、赤レンガ倉庫の保存が検討され、平成元年(1989年)に倉庫としての用途が廃止されると、平成4年(1992年)3月には横浜市が大蔵省から財産取得し、平成11年(1999年)7月には赤レンガ倉庫活用事業のコンセプトを「港の賑わいと文化を創造する空間」と決定しました。  そして、保存改修工事ののちに、旧横浜税関事務所跡の遺構や旧横浜港(よこはまみなと)駅のプラットホームなど歴史と景観を活かした赤レンガパークと合わせて平成14年(2002年)4月にオープンしました。  そして現在、赤レンガパークは背景に赤レンガ倉庫や横浜港を望める良好なロケーションから音楽ライブ、ランニングイベント、横浜消防出初式などのイベントや、ドラマや広告の撮影などで多数使用され、観光地として新港地区の賑わいの中心となっています。 3 横浜開港150周年事業  象の鼻パーク象の鼻パークは、横浜開港150周年記念事業の「横浜の新たな顔づくり・まちづくり推進プロジェクト」の中で象徴的な事業として位置づけられ、横浜ならではの歴史的資産を活かした空間を演出し、新たな港の顔、市民の憩いの場、交流の場として整備が行われました。 ■象の鼻の名前の由来  象の鼻の名前は、安政6年(1859年)の横浜開港に当たり整備された2本の直線的な波止場のうち東側の波止場が慶応3年(1867年)に湾曲した形に変更され、その形状からいつしか「象の鼻」と呼ばれるようになり、「横浜築港誌」(内務省臨時横浜建築局:明治29年(1896年))にはじめて「其埠頭ハ海岸ヨリ直ニ海面ニ突出スルコト五百余尺、西方ニ屈曲シテ一ノ象鼻形ヲ為セリ。」と記載されました。 ■歴史的港の遺構の活用  鉄軌道、転車台、横浜税関遺構煉瓦造2階建倉庫の基礎及び石積の防波堤など工事中に発見された明治期の港の遺構を残し、解説板などにより象の鼻地区の歴史や港の遺構などを紹介しているのでぜひ探してみてください。  また、山下公園西端から新港橋の間に残っていた鉄道高架橋を利用し平成14年(2002年)に遊歩道としてオープンした山下臨港線プロムナードからも象の鼻パークや赤レンガ倉庫を眺めることができます。  象の鼻パークでは、イベントがしやすい広い芝生の斜面や広場があることからDance Dance Dance @YOKOHAMA での屋外バレエ公演やスマートイルミネーション横浜などのアートイベント、中区民まつり「ハローよこはま」やベトナムフェスタなど日本大通りと一体的に利用される大規模なイベントなども開催されています。 4 日本丸メモリアルパーク  横浜船渠株式会社第一号船渠(※1)、帆船日本丸(※2)を保存・活用して昭和60年(1985年)に供用開始した緑地で、横浜みなと博物館、柳原良平アートミュージアム、イベントが実施できるアリーナが設置され、横浜みなと博物館の屋上の芝生斜面から新港ふ頭につづく鉄道敷を遊歩道に整備した汽車道などを眺めることができます。  帆船日本丸のメインマストやスクリュー・プロペラ、横浜船渠株式会社のエア・コンプレッサーやみなとみらい21埋立事業の礎石などもパーク内に展示され、アリーナでは昭和61年から毎年、吹奏楽演奏会が実施されています。 5 まとめ  このように新港地区、象の鼻地区ではウォーターフロントに賑わいの創出や憩いの場所をつくると共に、まちの活性化のために歴史的な資産を残しながら未来につなげるような緑地の整備をしてきました。また、平成31年(2019年)4月に施行される港湾施設条例では港湾緑地の機能増進に寄与する便益施設等の設置を民間事業者に許可できるようになりました。  これからも横浜市都心臨海部再生マスタープランに記載されているように港町ならではの歴史・文化的な資産を次世代へ残し、更なる賑わいを創出していきたいと思います。 ※1 横浜船渠株式会社第1号船渠(第1号ドック)  横浜船渠会社が船の修繕用に明治31年(1898年)竣工した明治期の代表的ドックの一つです。横浜船渠会社が昭和10年(1935年)に三菱重工株式会社と合併したことで、三菱重工横浜船渠となりましたが、昭和58年(1983年)の三菱重工横浜船渠の移転に伴い昭和60年(1985年)から帆船日本丸を係留するドックとして活用され、平成12年(2000年)12月4日に国の重要文化財に指定されました。 ※2 帆船日本丸  帆船日本丸は昭和5年(1930年)に建造され、練習帆船や戦後の引揚者の帰還輸送などに使用されたのち、昭和60年(1985年)3月に第1号ドックに係留され4月から一般公開され、平成29年(2017年)9月15 日には国の重要文化財に指定されました。  平成30年(2018年)11月〜平成31年(2019年)3月の予定で第1号ドックを約20年ぶりに水を抜き帆船日本丸の大規模修繕工事を行っています。